2017年に読んだ本ベスト5
今年読んだ96冊の中から個人的ベスト5+次点。
初版が今年でない本も含まれます。Amazonアソシエイトのリンク貼ってます。
■ 5位:『ヒルビリー・エレジー』 J.D.ヴァンス (著), 関根 光宏 (翻訳), 山田 文 (翻訳)
ラストベルトの白人貧困層だった著者が地元の人々・環境を振り返るノンフィクション。
ヒルビリーとは、合衆国東北部の田舎者(特にかつて工場労働で生計を立て、製造業の盛衰に生活を左右されてきたスコッツ=アイリッシュ系の人たち)を指す。ヒルビリーの持つ、貧困の連鎖構造を生む特性(現実を見ない、すぐにキレる、何事も継続できない、生活習慣がだらしない、結果すぐに仕事を辞めてしまう)と、彼らにくすぶる苛立ち、浪費することしかできない生活への不安が書かれ、暗い気持ちになる。
ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち
- 作者: J.D.ヴァンス,関根光宏,山田文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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■ 4位:『LIFE SHIFT』 リンダ グラットン (著), アンドリュー スコット (著), 池村 千秋 (翻訳)
統計上、我々の世代の50%は100歳まで生きるので、人生は必然的にマルチステージを推移する。
全力で長生きするとお金も活力も足りなくなるので、時々力を抜くためのストック型資産の形成が必要だが、それには財産だけでなく能力、健康、人脈も含まれる。マクロ環境に恵まれた高度成長期育ちの能天気ジジイ共とは根本的に生存戦略が異なるので、連中の言うことなんて聞いてはいけない。
■ 3位:『あなたの人生の物語』 テッド・チャン (著), 公手成幸 (翻訳), 浅倉久志 (翻訳), 古沢嘉通 (翻訳), 嶋田洋一 (翻訳)
「メッセージ」の題名で映画化された小説。
外国語を学ぶとその言語の思考法やものの見方がインストールされる経験を外国語学習者はするが、この小説の主人公は、時制を持たない言語を話す宇宙人の言葉を学ぶことで未来を幻視する(頭に浮かぶことが過去/現在/未来の区別がつかない)思考法を得る。
同録の「地獄とは神の不在なり」は、天使の物理的な降臨により災害が発生する世界をテーマにした短編だが、こっちの方はさらに面白い。
天使の出現が自然災害として書かれ、その降臨による地震・火災・地割れで家族を亡くした人々、障害を患った人々が右往左往する。自然の出来事を救いとか罰とかに結び付けるのは人間の側の勝手な考えであって、出来事の主体(我々にとっては自然、一神教徒にとっては神?)としてはどうでもいいことであり、我々の方ではきちんと現実を生きよう、ということだと理解した。僕にとっては宗教、天使降臨、祈りと天罰、アルコールやマリファナによる酩酊、ヒルビリー、高度成長経済、キャリアプランと長時間労働はすべて同じものに思える。
- 作者: テッド・チャン,公手成幸,浅倉久志,古沢嘉通,嶋田洋一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2003/09/30
- メディア: 文庫
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■ 2位:『なぜUSJのジェットコースターは後ろ向きに走ったのか?』 森岡 毅 (著)
元P&Gマーケターの著者による、倒産寸前だったUSJのV字回復の物語。
世界標準の科学的なビジネスのやり方で、根拠のない自己否定の空気が蔓延する会社を変革し、ずば抜けた成果を上げていく。売上高1,000億円に対し500億円を投資してハリポタを建設するために社内を説得して回る覚悟とリスクの計量的な算出、ハリポタのカットオーバーまで予算がない中で食いつなぐため売り上げを作るアイデアを脳が千切れるまで考え抜くシーンは素直に清々しく感動的で、とても映画栄えしそうだと思った。
USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか? (角川文庫)
- 作者: 森岡毅
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2016/04/23
- メディア: 文庫
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■ 1位:『反脆弱性』 ナシーム・ニコラス・タレブ (著), 望月 衛 (監修), 千葉 敏生 (翻訳)
トレーダーとして長年市場を観察し、バブルも金融危機も経験する中で、なぜ金融業界では、高級スーツを着て肩で風を切って歩くような「強い」連中が簡単に吹き飛んでしまうのか? というのが「まぐれ」「ブラックスワン」などの著者の過去作からの主要なテーマだけど、本作では「fragileの反対語が存在しない」ことの発見をきっかけに、脆さと強さと"反脆さ"の違いを考える。
要点は、全体の強さは脆さとイコールであり、全体の反脆さは部分の脆さとイコールだということ。
全体として強い金融業界はふとしたきっかけで簡単に吹き飛ぶ一方、脆いプレイヤーだらけでも「レストラン業界危機」なんて起きない(つまり飲食業界は「反脆い」)。
反脆い生き方とは、例えば会計士と90%結婚してロックスターと10%結婚するようなもの。
一方で、反脆さの性質(ダウンサイドに比べてアップサイドが多い)を悪用する連中には注意が必要。例えば自分の作った薬を飲もうとしない医者、若者に起業を勧める成功者、先進国から来た観光客 etc.
■その他次点:
『いたいコンサル すごいコンサル』 長谷部 智也 (著)
金づちの性能は使い手の能力に依存する
いたいコンサル すごいコンサル 究極の参謀を見抜く「10の質問」
『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』 山口 周 (著)
ロジカルスキルはもはや金づち並みのコモディティである
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)
『会議でスマートに見せる100の方法』 サラ クーパー (著), ビジネスあるある研究会 (翻訳)
ホワイトボードの姑息な使い方集。あるいは、人はなぜ会議に出るのか?
『ベストセラー・コード』 ジョディ・アーチャー (著), マシュー・ジョッカーズ (著), 西内啓 (監修), 川添節子 (翻訳)
ベストセラーを予測するAIエンジンによると、女性が才能の出し場を見つける「ガール小説」が今は売れやすいとのこと(ゴーン・ガール、ガール・オン・ザ・トレイン、ドラゴン・タトゥーの女)
『ザ・サークル』 デイヴ エガーズ (著), 吉田 恭子 (翻訳)
「ベストセラー・コード」で売れる確率1位と判定された。最先端のテック企業に入社した主人公が承認欲求をエンジンに危険に出世していくガール小説。エマ・ワトソン主演で映画化もされた。
ヒップホップはラッダイトをやってもいいのか? ― 社会変革の可能性、あるいはその限界 ―
Google Driveを整理していたら、学生時代に授業で書いたレポートを色々見つけてしまった。いま読んでも考えや認識が変わっていない、かつ、ウェブに流すのが恥ずかしすぎるわけでもない、くらいのものがあったのでブログに掲載しようと思う。(誤字脱字含め未修正。参考文献の記載がないため事実との整合性は未確認。2011年の後期期末レポートとして作成)
もしかしたらどなたかのブログor書籍などから剽窃(サンプリング...とは言いません)している可能性があるので(何をinputに書いたのか記憶が曖昧なため。。。)、もしその点について疑義がある方がいらっしゃいましたら、コメント欄等でご一報頂けると幸いです。(ASAPで修正or削除します)
*タイトルは、トマス・ピンチョンのエッセイ ”Is It OK to be a luddite?"(ラッダイトをやってもいいのか?)から取ったと推察。
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ポピュラー音楽、いわゆるポップスは古今東西で、若者の人格形成や行動に多大な影響を与えてきた。若者は自分の気分や問題意識をうまく表現するアーティストを探し、友達と共有することを楽しむ。時代を象徴するいくつものアーティストが登場しては衰退していき、若者たちは彼らの作品を発見し、親しみを持ち、同年代とのコミュニケーション・ツールとして消費しては、もっと共感を持てるような別の作品を発見するといった行動を繰り返してきたのである。そしてその最新の動向としてあげられるものがヒップホップの普及である。アメリカにおいて黒人のストリートで発祥したヒップホップが、世界中のヒットチャートを賑わせている。70年代に登場したヒップホップは急速にその表現方法を発達させてきた。90年代には、いくつかのヒップホップ・アーティストは発祥国のアメリカで国民的人気を獲得し、00年代に入るとアメリカ国内のヒットチャート上位の大半を占めるようになり、さらにその人気は世界中に飛び火していった。したがって、現代のポップスを語る際には、ヒップホップの台頭は欠かせない話題となるだろう。ヒップホップの登場とその流行は、アメリカにおいて、若者の行動にどのように影響を与えてきたのであろうか。またヒップホップが今後、アメリカに留まらず全世界で社会変革を促すような、歴史的に更に重要な意味を持つムーブメントとなる可能性はあるのであろうか。本レポートでは、この点に軸足を置いてヒップホップが若者と社会の関係性に与える影響を考察する。
ヒップホップは、70年代初期の黒人貧困層の居住区(ゲットー)に起源を持つと考えられている。この時代のアメリカでは国民の間で所得格差が拡がりはじめ、都市の中に住む貧しい黒人と郊外に住む裕福な白人という構図が顕在化しつつあった。このような不安定な時期に起こったのがヒップホップであり、ストリートや公園で芽吹いたこの新たなカルチャーが若者に自己と社会に対する問題意識を自覚させ、現在では海を越え、人種を越え、世界中のスタジアムでイベントが行われるような巨大カルチャーへと進化を遂げてきたのである。
もともとはゲットーの一部でのはやりものであったヒップホップは、「ラッパーズ・ディライト」のヒットによって最初の一歩を踏み出し、全米の黒人の若者を巻き込む流行となったのである。当初はいわゆるパーティ・ソング的な楽曲が多かったものの、80年代後半からは、政治的な主張をハイライトしたヒップホップ・アーティストも登場した。その後は前述の通り、世界的な流行を経てポップスの一大ムーブメントとなったヒップホップであるが、この流れの中で、ヒップホップは文化的な重要性と同様に、商業的にも重要な意味を持つようになった。つまり、黒人貧困層のアングラ・カルチャーとして出発したヒップホップは、白人を始めとする他人種を主要な顧客とする、カネになる巨大ビジネスへと変貌したのである。
このことはヒップホップのスタイルに論争を巻き起こす変化を起こした。ラッパーたちはレコードを売るために過剰なキャラクターを演じはじめたのである。麻薬や銃の使用、行き過ぎた女性蔑視を歌詞に盛り込んだギャングスタ・ラップと呼ばれるスタイルがヒットするようになったのであるが、これはまさに、黒人に代わり白人が主要なリスナー層となったためであると解釈できる。このような「ゲットーの日常」を描いたマッチョイズムは、中流以上の白人の若者にとって、憧れの「非日常」であるからである。そのような白人のニーズに応えるラッパーは当然、黒人からは「カネのために白人に魂を売った」として非難された。さらには音楽のスタイルどころか、楽曲がヒットし、アーティストが裕福になること自体が、主要なリスナー層である白人に受け入れられたという意味で「ワック」(=ダサい、といった意味のスラング)であると評されるようになったのである。
この流れは、黒人の若者と白人の若者のあいだの自己意識及び関係性において、重要な断絶が存在することを示唆していると私は考える。つまり、白人の若者のゲットーへの憧れから見られるように、彼らは黒人のサバイバルでスリリングな日常とそれらをくぐり抜けてきたタフネスに尊敬の念を感じているにもかかわらず、黒人の若者はそのリスペクトを素直に受け入れようとしないのである。
経済的に大きな成功を収めたヒップホップが、そのパワーを利用して政治的課題解決の手段として期待されるのは当然のことである。アメリカには未だに白人・有色人種間での感情的断絶、経済的格差が存在し、解決の兆しは見えていない。ヒップホップという現代のアメリカの若者にとっての共通言語が、互いの人種間での歩み寄りを促進し、様々な人種のあいだで平等に福祉を享受できるような政策策定のための議論と行動を促すプラットフォームとなることを期待する人々は大勢いる。人種の壁を越えて若者に受け入れられたヒップホップは、そのような社会変革を起こすポテンシャルを十分に持っているように見えるが、先に述べたようにその内部には未だに埋めがたい断絶が存在するのである。
アメリカに限らず、ヨーロッパでも、グローバリゼーションに基づく移民の受け入れが進み、国家内での多人種化が進んでいる。わが国をはじめとした東アジアの経済的先進国諸国でも、そのような流れが加速する蓋然性は高い。そのような将来に起こりうる問題としてあげられるのは、移民であるマイノリティたちとの感情的・経済的断絶である。ポピュラー音楽などの普遍的文化は、少なくとも人種間の感情的断絶を緩和し、それが経済的断絶をも解決に向かわせる糸口となるポテンシャルを十分に備えていると私は考える。しかしながら本レポートで見てきたように、現在アメリカで生じている先進事例はその仮説の反証となるようなものであった。
文化が人々の利益のための政治的行動に使用されるのが良いことであるという点に疑いはない。ヒップホップという巨大な文化の力を良い流れに向かわせるためには、ヒップホップ・アーティストたちの今後の活動、特にヒップホップ世代に良い影響を与えるような活動がいかにしてなされるかにかかっているのである。
(2557字)
<読書録>『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』
かつて、音楽が無料で手に入る時代があった。1990年代の終わりから2000年台半ばまでの間、CDはまるで売れず、というかCDに収められていた楽曲(1枚あたりだいたい12曲)は音楽の海賊たちによってウェブの海上に放流されていた。音楽ファンは無料で、自宅から、アーティストたちの作った作品を自分のものにし放題の時代だった。
黒人の日本征服(小説)(ドラフト)
時は戦国時代、300あまりの小国が小さな日本列島を群雄割拠し、列島の覇権を争い合っていた。
ある時九州は肥後の小国、阿蘇藩に流れ着いた小さなガレー船があった。乗っていたのは世にも奇妙な黒い肌をした大男が10人程ほど。彼らはその大きな図体にもかかわらず痩せこけ、元々黒い肌の上からでも分かるほど全身に垢がこびりついていた。
彼らをまず最初に発見したのは宇土の漁師だった。3,4名の漁師は黒人たちを家に招き入れ、治療をし、食事を与えた。回復した黒人たちははじめ漁師に雇われて遠泳漁業に従事し、台湾や中国、朝鮮、南西諸島の交易商人と人脈を作った。
やがて彼らの腕力と快足に目をつけた商人が、飛脚として使用するために彼らを漁師から買い取る。彼らは本州遠征を幾度と繰り返す中で、近畿や関東の有力者と顔見知りになり、恐れられつつもその実力を認められる。この頃には日本へやってきて7年が経っており、すでに日本語もほとんど完璧い操れるレベルになっていた。
時の宇土城城主、名和顕忠はこの黒人たちを戦力として活かそうと商人から買い付け、剣術と武術を習わせたが、決して侍として育てようとはしなかった。やがて名和が佐々木に倒され、さらに小西氏が宇土の政権を握る中で、黒人たちは城の要域に入り込むまでになっていた。
黒人たちの実質的な主導者だったバラゼル(和名を戊吉)は、加藤清正が実権を握るにあたって関白付きの要職につき、文禄元年の第一回朝鮮出兵にあたっては加藤軍の実質的な指揮を任され活躍。帰国後、人民も財政的にも疲弊しパニック状態に陥っていた加藤下の肥後藩でクーデターを起こし、戊吉は肥後藩の藩主についた。この頃秀吉とも懇意になり、名黒の姓を与えられつつ(この時まで加藤は黒人たちに姓を与えていなかった)、秀吉直下の黒人兵団を自らの師団に与えられて、下総と武蔵の狭間の裏安に領土を与えられる。
この頃から黒人たちは武力の充実に努め、裏安の少ない資源を有効に追加いながら、宇土時代の人脈を頼って南蛮貿易航路を開拓し、財産を蓄積させた。日本人でなく、しかも真っ黒い肌と大柄の体格を持つ自分たちに支配される裏安の民どもの不安や恐怖感を黒人たちは十分に理解しており、南蛮貿易で蓄えた資本を使って交通を整え、商人街を建造し、課税を極端に軽くし、水呑百姓や下流商人、また戦に敗れ財産を失った武士の起業を積極的に促進した。南蛮の商人や宣教師も現地の物品の輸入を条件に積極的に受け入れることで、裏安藩は当時の日本国内、いや世界的に見ても有数の経済的・文化的水準を誇るに至った。
豊臣が倒れ、徳川家康が江戸幕府を開くにあたって、裏安の名黒氏は関ヶ原での貢献を認められ、下総の一部を含む60万石を与えられ、国内でも最大級の勢力となる。慶長11年、徳川二代目秀忠の時、名黒三代目惣流はクーデターを決行。南蛮貿易で仕入れた大砲と長距離火縄銃で新宿の戦いを圧倒的強さで制し、徳川幕府を打倒。
しばらく幕府は空位状態が続いたが、惣流はその間に朝廷との結び付きを強め、じきに征夷大将軍に任ぜられるがこれを断り、京都御所の近くの烏丸に一族で本拠を移し、新倉に姓を改め城を建造、城主となる。長らく徳川幕府は空位状態のまま、日本は実質的に天皇が治める国家となった(これは非常に奇妙なことである、本来名目上はこの国は天皇が治め、実質的に徳川が実権を握っていたのだが、ここに来て名目的な実権の実質を皇室が握るという倒錯した権力構造となったからだ)。新倉六代目(名黒戊吉から数えて九代目)の平政は、皇室出身者と婚姻関係を結び、この時日本史上初めて、黒人の皇族関係者が誕生した。そして当時ですら大方が予想したとおり、黒人の天皇が誕生することになる。
嘉永天皇と称するこの黒人天皇は、新倉家の伝統的な戦術である南蛮との相互交流を推進し(これは実質的に日本のグローバリゼーション史の幕開けと解釈されている)、グアム、ハワイの王国を経由してアメリカ大陸西海岸に初めて官僚を派遣する。これは嘉永5年のことである。折しも米政府はマシュー・ペリーを指揮官とした極東遠征を計画しており、この黒人の日本官僚七助の到来には大きな財政的インパクトを感じ、丁重なもてなしのうえ、首都ワシントンへ招き入れた。
『ヒトラーを支持したドイツ国民』の感想
そもそも一国全体が卑劣な独裁者の言いなりになり洗脳を施されるなんて有りえないというのは感覚的に分かるのだが、しかし実際のところ、第三帝国下のドイツをオーウェルの描く平行世界の1984年的世界観から切り離してイメージしてみるのは難しい。
それは一つには、日本もそのドイツと同時期に同様のディストピアを経験していて、その時に受けたこっぴどいダメージの後遺症が現在の自分たちの有り様に確かに影響を与えているのを無視できないからであるし、一つには、願わくばわれわれはその悪夢を押し付けられた被害者であって、それゆえに自業自得の強迫観念から免れたいという民族アイデンティティ上の逃避行が心地いいからでもある。
当時のドイツといえば、高度な教育を受けた6000万もの人口を抱えていた世界有数の文明国だ。そんな先進国がヒトラーという悪の権化、馬鹿げた地獄の使い魔を進んで支持していたとは考えたくないわけだ。
しかしこの本は、その出来れば見て見ぬふりしておきたい現実をしっかりと頭に叩きつけてくれる。ヒトラーが持ち前のマーケティングセンスをフル活用して国民のニーズを的確に読み取り、国民の不安を心地良く和らげ、国民の願望や私利私欲をことごとく満たしていった先に、国民にとって理想の独裁者であろうとし続けた先に、例の終末的な敗戦と未曽有のジェノサイドが待ち受けていたのだという現実を。