最後通牒ゲームとウォール・ストリート

 人は人の顔と相対している時には残酷になれない。ロシア人の誰か曰く、「一人の人間が死ねばそれは悲劇だが、100万人が死ねばそれは統計である」。『戦争における人殺しの心理学』では、歴史上の白兵戦でいかに多くの人々が殺しを避けてきたか、科学が発達して白兵戦なしに戦争ができるようになって以降、人が人を殺すのが心理的にどれほど容易になったかを説明している。人はその人の顔を見ながら悪行を働くことはできない。でも面と向かっていなければ、人は"ホモ・エコノミクス"にだってなれる。

 

 ゲーム理論行動経済学の文脈で有名な最後通牒ゲームについて。

 僕とあなたに1万円が配られた。僕たちはこの1万円を二人で分けあって良いが、幾らずつに分割するかの権限は僕に与えられている。代わりに、あなたにはその分割案を拒否する権利が与えられている。あなたが僕の分割案を拒否すれば1万円は没収となる。もし僕が非人格的に合理的な、経済学の想定するような"ホモ・エコノミクス"であったらどういう割合でこの1万円を分割するか?答えはもちろん、9999円:1円だ。そしてあなたが経済合理的な人間であれば、このオファーは断れない。と経済合理的な僕は判断する。あなたが承諾すればあなたは1円儲かるが、拒否すれば収益は0となるからだ。

 しかし、実際に実験してみるとこうはならない場合が多い。分割案の決定権を持った側が上のような案を提案すると、もう片方はほとんど全ての場合で拒否権を行使する。それ以前に、決定側はそのような合理的に利己的なオファーをしない場合がほとんどだ。大体のケースでは、7000円:3000円とか、6000円:4000円という分割案がはじめから提案される。

 なぜこのようなことが起こるのか?なぜ人は合理的に振舞わないのか?

 人が合理的に振舞わない時には、合理的に振舞わないことを選択させる合理的な理由があると考えるのが自然だ。

 これに関してよくなされる説明は、人間は一般的に、たかが1円でも得ようとする「合理性」よりも、不公正な態度を取る相手を罰したい欲求が上回るからというものだ。経済学者のフィクションである"ホモ・エコノミクス"でない現実の被験者は、その一般的特質を理解しているからこそ、先回りして公平な金額を提示するのである。相手を目の前にして、罰せられる懸念から逃れようとしているのだ。

 

 では、あの悪劣さと不公正をモットーとするウォール街はどうして罰せられる可能性を懸念しないのか?

 無論、不公正を突きつける相手が目の前にいないから、どころか、その特定の相手すら存在しないからだ。投資銀行が駆使する金融工学という名の錬金術は、誰がどの証券を買ったのか明確にしない。さらには、"ブラックスワン"後にその尻拭いをするために、全先進国の納税者はますます多くの貢納金をウォール街に送金し、開発途上国の飢える民はますます飢え死ぬことで貢献を強いられる。グローバルに発達した今日の経済活動は、好調時も不調時もグローバルに、とりわけ全体として世界の特徴である不公平な格差を伴っているという意味でグローバルに波及していくのだ。その波を立てる震源地は経済的・権力的ピラミッドの頂点に位置するウォール街であり、その流動力学的に大きくなっていく津波をもろにかぶるのはすべての周縁部である。