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【読書録】幸福の遺伝子(リチャード・パワーズ)

幸福の遺伝子

幸福の遺伝子

 

 人が遺伝子の影響やウェブ上の世論や自らの運命をコントロールできないのと全く同じように、作家も自らが物語る物語をコントロールできない。作家ができることはただ、物語の中に世界を作り、登場人物を配置し、彼らの背中を押すことだけだ。それらが生み出す複雑系をなぞるので精一杯、それでもなんとか食らいついて追跡するのが作家の仕事だし、だからこそ村上春樹が言うように、小説を書くという作業は肉体労働に似ているのだろうと思う。

 そして作家が自身の物語をコントロールできないという以上に、世界もよどみなく進行する自らの生成をコントロールできない。世界は常に自らの欠陥を自分自身で埋め合わせていくし、埋め合わせたそばから欠け落ちていく。欠けているものが必要とされ、必要とされたものが想像され、想像されたものが発明され、発明されたものが供給され、供給されたものが消費され、消費されたものが新たな欠陥を創造する。世界のすべては世界のすべてを通じて円環構造を成し、お互いがお互いからフィードバックを引き出し、引き出されたフィードバックに基づいて互いを更新し合い、あらゆるものが常に変化することをやめないでいる。

 この『幸福の遺伝子』(や他のパワーズの小説)がチャレンジしているものは、こういう世界の成り立ちについて暗喩することなんだと思う。パワーズが作り出した小説世界は勝手に動き出し、それに対するレスポンスとして著者はその世界に新たな人物や出来事をプレースしていき、彼の事前の構想や願望はそれらの不可逆な成り行きにリプレースされる。そしてこの『幸福の遺伝子』では、幸福の遺伝子を持つとされる"にこにこカビリア娘"の存在が遺伝子工学を新たに方向付け、新たに方向付けられた遺伝子工学が人々の将来予想図をまた新たに方向付け、最後にそれは、"にこにこカビリア娘"の幸福な特性をも変化させてしまう・・・。

 では、そういう世界の性質に対して、僕たちはどう対抗すればいいのだろう。カナダ国境に近いモーターロッジで主人公が見上げた回転する星空のようにコントロール不能な世界に対して、コントロールしようとすればするほど指の間からこぼれ落ちていく世界に対して、それでも冷笑的な態度でいないために、僕たちは何ができるのだろう。結末を引き受ける覚悟だろうか。神より出しゃばらないことだろうか。つまりは、generosityをenhanceすることなんだろうか。結局この問いも、本書の結末で(ある程度)示された回答に対しても、回転する星空を地上から見上げることしかできないのと同じように僕には思える。

 

 

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物語を書くことについて

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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話の終わり

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