ベガスでロシア人を撃つな

2014年の大雪

大雪が降った。

玄関のドアを開けてみてびっくりした。僕の階のフロアが一面、雪に覆われている。普段の雨や、たまに降る雪の日には、この3階フロアまでが何であれ自然の作用に侵食されることなんてない。テレビで10年に一度の大雪だと言っていたが、ほんとうにそうなのだ。

エレベーターで1階フロアに降りてみると、マンション玄関のガラス戸までもが一面雪がこびりついている。まるで数百年放置されて苔が生えたみたいにびっしりと。玄関から舗道へ続く10メートルほどの通路は、もちろんのこと、雪の芝生がふさふさと生えそろっている。

一面銀世界とはこのことだ。しかも東京で。人も車も往来はほとんどない。一歩踏み込むたびに、雪の中に潜む小人たちの断末魔のような破裂音がギシ、ギシ、と靴底に響く。手付かずの積雪部分を見る感じ、20センチほど積もってるみたいだ。子供がひとりで遊んでいる。雪を握ったり、どこか穴が開いている部分へ突っ込んでみたり。気づくと着ているカーキ色のモッズコートが真っ白になっていて、さながらサナギから脱皮したてのような雰囲気。

強く吹きつける風に乗って、雪玉がすうっと僕の顔面めがけて飛び込み、触れるすんでのところで反重力のように弧を描いて別方向へ去ってゆく。小さな雪玉は僕に近づくに連れて見かけ上の大きさを増し、そのまま気まぐれに視界の外へフェードアウトしてまた小さくなってゆく。まるで3D映画みたいな光景だなとか思いながら、技術革新とそのメタ化の共謀による批評可動域の広がりが倍々ゲームの要領で進んでいるんだなとか考えるが、もちろんそれは今考えるようなことじゃない。

TSUTAYAで『ランボー/最後の戦場』と『スター・トレック/イントゥ・ダークネス』のDVDをレンタルした帰り道、ブックオフが早くも店仕舞いをしていた。こんな日に営業をする筋合いがないのは当たり前だが、それを言うならTSUTAYAだって営業するべきではなかった。車道を用心深く進むもの好きな車はタイヤに履かせたチェーンでごりごりとアスファルトを耕している。風はさらに強く吹き始め、どこかの看板に体当たりを繰り返す雪玉の弾ける音がぴしぴしと鳴っている。空には太陽も鳥もなく、言ってみれば、空だといえるようなものは何も無かった。