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決断と意識とアルコール

 意識とは絶えざる決断の出来なさによって形作られている、という話について。

 ある事象に対してAという欲求、Bという欲求、Cという欲求がある。それぞれは互いに排律的で、同時に二つあるいは三つを達成することはできない。たとえばある高校三年生が進路についての決断に対し、A)勉強して有名大学に進みたい、B)勉強せずに怠けたい、C)プロのスノーボーダーになるという夢を追いかけたい、という三つの欲求を選択する余地があるとする。このような場合に人の意識は起動する。この三つの欲求を同時に為すことは当然できない。よって意識は悩み、考える。決断によって他の欲求が実現しないことへの機会損失に怯える。傷つきたくない、辛い思いをしたくない、いい思いをしたい。どう考えたって論理的に自明な選択肢が存在しないように思える。このプロセスは要するに非決定への欲求ということで、こういった欲求は、社会という空間に縁のない、自然状態にある例のアニマルとかいう連中には存在しないものだ。つまりその欲求こそが人間を人間たらしめている意識というものだ。というのは伊藤計劃の傑作『ハーモニー』でも書かれていた話。

 無気力や鬱病はこの極端な形であり、つまりは、極端でない場合であれ、人間なら誰でも悩みを抱えるということだ。決断ができない、したくないと思う。そのことが状況をさらに悪化させ、さらなる選択肢を増やす。決断しなければしないほど決断すべき必要性が強化され、それがさらに機会損失のイメージを膨らませ、ますます人に非決定への欲求を募らせる。正の欲求が一周回って負の欲求に追いつき、堪らずその尻尾をくわえ込み、世にも見事なベンゼン環を形成する。

 この種のどん詰まりゲームを打破していくのが人生ということかも知れないけど、その方法は人により状況により千差万別だ。僕みたいな凡百のうじうじ野郎にはまるで理解出来ないが、ちょっと信じられないような純不純を問わない不純のエネルギーを漲らせて決断の荒野を切り拓いていく人間もいる。まるで道徳的でないように思えるこのタイプの人たちは、普遍的に応用の利かない永久機関を腹の中に蓄えているんだろうが、そうではない善良で普遍的なタイプの僕たちは、大体において決断の失敗を繰り返していくのが常だ。特に酒を飲まない思春期においては。変な部活に入ってしまった13歳のあの時、ブスな女子に告られて振ってしまった(そのせいで童貞病棟への抑留が長引いた)16歳のあの時、世間への度を超えた反骨心から推薦入試を棒に振ってしまった18歳のあの時。当時悩みに悩んで苦しんで決めたことであったはずなのに、もっとましな決断が出来たはずだと考える。そういうことは誰にでもある。前述のとおり、それが意識というものだからしょうがない。

 それで、大人になってからその種の決断をするとき、アルコールの魔術に助けを仰いでしまう。そういう人は数多くいる。容易には立ち向かえない非決定の魔の手、イコール、勝手に起動する意識というものは、気がついたらメモリを食いまくっているバックグラウンド・アプリに似てとても厄介だ。そのアプリの強制終了にアルコールは非常によく効く。アルコールは増加していく選択肢へのイマジネーションを抑制し、機会損失への怯えをシャットアウトし、よく考えるという病魔を鎮めてくれる。心の動きを人間よりは動物に近いものにしてくれる。こと決断という行為において、お酒が供給する無限のアシストは中村憲剛キラーパスよりも一撃必殺だ。

 でも、このロジックが行き着く先は、アル中でしかない。アル中への道は善意で舗装されている。年齢を重ねるにつれて必要な決断は数を増していく。経験を積むにつれて可能な決断は数を増していく。しかし選択肢を検討するための時間的/思考力的リソースは悲しいほどに減っていく。したがって部屋の片隅に転がる発泡酒の空き缶はサラ金の利息よりも猛スピードで増していく。人生はつらい。そうだ、人生ほどヘヴィーなパンチはないのだった(シルベスター・スタローンロッキー・ザ・ファイナル』)。

 僕はまだまだ20代中盤で、何かを重荷に思う年齢でもないのに、冷蔵庫にアルコールのストックを切らさないよう注意する習慣が付いてしまっている。もちろん中毒ではないし、むしろどっちかと言えば酒が回りやすいタイプの、よくいる標準的なレベルの若者だ、僕は。でも出来るならば、まったく酒なしで生きていきたいと思う。脆弱な意識に対する攻撃力を備えた意識をもって生きていきたいと思う。大江健三郎は書いていた、「人生はしらふでやってゆかなければだめだ」、と(『万延元年のフットボール』)。人間が人間であるがゆえに背負うカルマとしての意識。自力で都合をつけなければならないバランスシートとしての(というか貸方を重点的に汚しまくる)意識。その種の呪縛をアルコールとか、煙草とか、甘いもの美味しいもの気持いいことマリファナコカイン合法ハーブとかで誤魔化しながらなんとかやっていけるなんて上手い話があるんだろうか(否、そんなはずはない)。大江が、スタローンが言っていることはそういうことなんじゃないか。

 非決定への欲求がもたらす意識、あるいは意識がもたらす非決定への欲求を、カルマの貸方に乗せずに振り払って人生をやっていくこと。決断できないことを承知で、ある時には傲慢に、ある時には傷つきながら決断を重ねていくこと。もしかしたら、これが例の成熟とか呼ばれるプロセスなのかも。ということを書き連ねながらパソコンの脇に押しやられる今晩何本目かの淡麗生。死ぬ前にチャレンジ可能な暇つぶしはまだまだあるみたい。