ベガスでロシア人を撃つな

ヒップホップはラッダイトをやってもいいのか? ― 社会変革の可能性、あるいはその限界 ―

  Google Driveを整理していたら、学生時代に授業で書いたレポートを色々見つけてしまった。いま読んでも考えや認識が変わっていない、かつ、ウェブに流すのが恥ずかしすぎるわけでもない、くらいのものがあったのでブログに掲載しようと思う。(誤字脱字含め未修正。参考文献の記載がないため事実との整合性は未確認。2011年の後期期末レポートとして作成)

  もしかしたらどなたかのブログor書籍などから剽窃(サンプリング...とは言いません)している可能性があるので(何をinputに書いたのか記憶が曖昧なため。。。)、もしその点について疑義がある方がいらっしゃいましたら、コメント欄等でご一報頂けると幸いです。(ASAPで修正or削除します)

 

*タイトルは、トマス・ピンチョンのエッセイ ”Is It OK to be a luddite?"(ラッダイトをやってもいいのか?)から取ったと推察。

 

 

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 ポピュラー音楽、いわゆるポップスは古今東西で、若者の人格形成や行動に多大な影響を与えてきた。若者は自分の気分や問題意識をうまく表現するアーティストを探し、友達と共有することを楽しむ。時代を象徴するいくつものアーティストが登場しては衰退していき、若者たちは彼らの作品を発見し、親しみを持ち、同年代とのコミュニケーション・ツールとして消費しては、もっと共感を持てるような別の作品を発見するといった行動を繰り返してきたのである。そしてその最新の動向としてあげられるものがヒップホップの普及である。アメリカにおいて黒人のストリートで発祥したヒップホップが、世界中のヒットチャートを賑わせている。70年代に登場したヒップホップは急速にその表現方法を発達させてきた。90年代には、いくつかのヒップホップ・アーティストは発祥国のアメリカで国民的人気を獲得し、00年代に入るとアメリカ国内のヒットチャート上位の大半を占めるようになり、さらにその人気は世界中に飛び火していった。したがって、現代のポップスを語る際には、ヒップホップの台頭は欠かせない話題となるだろう。ヒップホップの登場とその流行は、アメリカにおいて、若者の行動にどのように影響を与えてきたのであろうか。またヒップホップが今後、アメリカに留まらず全世界で社会変革を促すような、歴史的に更に重要な意味を持つムーブメントとなる可能性はあるのであろうか。本レポートでは、この点に軸足を置いてヒップホップが若者と社会の関係性に与える影響を考察する。

 ヒップホップは、70年代初期の黒人貧困層の居住区(ゲットー)に起源を持つと考えられている。この時代のアメリカでは国民の間で所得格差が拡がりはじめ、都市の中に住む貧しい黒人と郊外に住む裕福な白人という構図が顕在化しつつあった。このような不安定な時期に起こったのがヒップホップであり、ストリートや公園で芽吹いたこの新たなカルチャーが若者に自己と社会に対する問題意識を自覚させ、現在では海を越え、人種を越え、世界中のスタジアムでイベントが行われるような巨大カルチャーへと進化を遂げてきたのである。
 もともとはゲットーの一部でのはやりものであったヒップホップは、「ラッパーズ・ディライト」のヒットによって最初の一歩を踏み出し、全米の黒人の若者を巻き込む流行となったのである。当初はいわゆるパーティ・ソング的な楽曲が多かったものの、80年代後半からは、政治的な主張をハイライトしたヒップホップ・アーティストも登場した。その後は前述の通り、世界的な流行を経てポップスの一大ムーブメントとなったヒップホップであるが、この流れの中で、ヒップホップは文化的な重要性と同様に、商業的にも重要な意味を持つようになった。つまり、黒人貧困層のアングラ・カルチャーとして出発したヒップホップは、白人を始めとする他人種を主要な顧客とする、カネになる巨大ビジネスへと変貌したのである。
 このことはヒップホップのスタイルに論争を巻き起こす変化を起こした。ラッパーたちはレコードを売るために過剰なキャラクターを演じはじめたのである。麻薬や銃の使用、行き過ぎた女性蔑視を歌詞に盛り込んだギャングスタ・ラップと呼ばれるスタイルがヒットするようになったのであるが、これはまさに、黒人に代わり白人が主要なリスナー層となったためであると解釈できる。このような「ゲットーの日常」を描いたマッチョイズムは、中流以上の白人の若者にとって、憧れの「非日常」であるからである。そのような白人のニーズに応えるラッパーは当然、黒人からは「カネのために白人に魂を売った」として非難された。さらには音楽のスタイルどころか、楽曲がヒットし、アーティストが裕福になること自体が、主要なリスナー層である白人に受け入れられたという意味で「ワック」(=ダサい、といった意味のスラング)であると評されるようになったのである。

 この流れは、黒人の若者と白人の若者のあいだの自己意識及び関係性において、重要な断絶が存在することを示唆していると私は考える。つまり、白人の若者のゲットーへの憧れから見られるように、彼らは黒人のサバイバルでスリリングな日常とそれらをくぐり抜けてきたタフネスに尊敬の念を感じているにもかかわらず、黒人の若者はそのリスペクトを素直に受け入れようとしないのである。
 経済的に大きな成功を収めたヒップホップが、そのパワーを利用して政治的課題解決の手段として期待されるのは当然のことである。アメリカには未だに白人・有色人種間での感情的断絶、経済的格差が存在し、解決の兆しは見えていない。ヒップホップという現代のアメリカの若者にとっての共通言語が、互いの人種間での歩み寄りを促進し、様々な人種のあいだで平等に福祉を享受できるような政策策定のための議論と行動を促すプラットフォームとなることを期待する人々は大勢いる。人種の壁を越えて若者に受け入れられたヒップホップは、そのような社会変革を起こすポテンシャルを十分に持っているように見えるが、先に述べたようにその内部には未だに埋めがたい断絶が存在するのである。
 アメリカに限らず、ヨーロッパでも、グローバリゼーションに基づく移民の受け入れが進み、国家内での多人種化が進んでいる。わが国をはじめとした東アジアの経済的先進国諸国でも、そのような流れが加速する蓋然性は高い。そのような将来に起こりうる問題としてあげられるのは、移民であるマイノリティたちとの感情的・経済的断絶である。ポピュラー音楽などの普遍的文化は、少なくとも人種間の感情的断絶を緩和し、それが経済的断絶をも解決に向かわせる糸口となるポテンシャルを十分に備えていると私は考える。しかしながら本レポートで見てきたように、現在アメリカで生じている先進事例はその仮説の反証となるようなものであった。
 文化が人々の利益のための政治的行動に使用されるのが良いことであるという点に疑いはない。ヒップホップという巨大な文化の力を良い流れに向かわせるためには、ヒップホップ・アーティストたちの今後の活動、特にヒップホップ世代に良い影響を与えるような活動がいかにしてなされるかにかかっているのである。


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