ベガスでロシア人を撃つな

大企業の新規サービス立ち上げにおける「MVP」という言葉

大企業の新規サービス開発において、MVPという言葉を安易に連発すると、品質向上ひいてはサービス向上への怠惰な姿勢がなし崩し的に許容されてしまう。

 

主にデジタル新規事業に取り組む際、今や伝統的な大企業においても、MVP=実用最小限度の製品を素早く構築して市場投入し、顧客フィードバックを取り入れながら徐々に改善していきましょう、というリーン・スタートアップの事業開発手法は(何年遅れで?)スタンダードとなっている。

 

これは言うまでもなく、ソフトウェア・ビジネス、つまりあとで何とでも変えられる製品をビジネスにするときの事業開発手法としてはあまりに理にかなったやり方で、それ以外の手法が考えられないほど唯一の絶対解だと思われる。

 

一方で、リーン・スタートアップはあくまで、長期的展望のもとで、事業を意味のある幾つかのステップに分解した場合の第一フェーズ、つまり0→1、事業の起こし方に関するフレームワークである。まずはMVP、という企画書は、予算規模が小さく済むので社内決裁を通しやすいし、何かを作って上市した、という事実は、新規事業担当者の実績にもなる。しかしそれは顧客の要望を跳ね除けるためのフレームワークではないし、ましてや顧客に低品質な製品を出荷することの正当性ではまったくありえない。

 

ところがこのフレームワークは、大企業のサラリーマンが持つ普遍的な自己保存本能、責任回避とハードワーク回避の欲求に見事に親和性の高い概念でもある。MVPという言葉を持った大企業の新規事業担当者は、開発ベンダーとの要件定義の場でスコープの議論になれば「まあMVPですから・・・」を連呼し、セキュリティホールの萌芽が見つかれば「まあMVPですから・・・」を連呼し、アーリーアダプターとの商談で自社業務に対する機能不足を指摘されれば「まあMVPですから・・・」を連呼する。MVP開発は構築→試行→改善のフィードバック・ループの始め方にすぎないが、フィードバックを受け入れない、そして改善しない理由にも役立つのである。

 

ではどうするべきなのか。

 

Minimum Viable Product = 最低限ちゃんと動く製品、というのはB2Cの一般ユーザが使う製品である程度有効な概念だと思われる。しかし大企業において、特にB2Bサービスを立ち上げる場合は、Minimum Sellable Product = MSP、つまり正規料金を払って契約してもらえる顧客を獲得できる必要最小限サイズの機能パッケージを搭載した製品を出荷するべきだ。そうすれば顧客ニーズの少なくとも一定の範囲を解决する要件がきちんと定義されるし、アクショナブルな指標が考え出されるし、質のいいクレームに出会うことができる。(もっと言うと、テレアポで開拓した初対面の顧客にMSPが売れた瞬間を「事業を立ち上げた」と表現するべき。)

 

「正規料金を払って契約してもらえる」という部分が大事で、なぜかというと、お金をはらっていないと真剣に使ってもらえず、したがって真剣なフィードバックを得られず、プロダクト・マーケット・フィットに近づけないからだ。表面的な契約社数・ID数だけ水増ししても何の意味もない。無料トライアル契約の獲得は、営業ではなく広報である。大企業におけるMVP、つまり単に動く製品を低予算・短納期で作ってりりーするアプローチは、むしろ筋の良い事業なのかどうかの Go - No go の判断をしづらくさせる点で有害ですらある。