ベガスでロシア人を撃つな

雑文

ヒップホップはラッダイトをやってもいいのか? ― 社会変革の可能性、あるいはその限界 ―

Google Driveを整理していたら、学生時代に授業で書いたレポートを色々見つけてしまった。いま読んでも考えや認識が変わっていない、かつ、ウェブに流すのが恥ずかしすぎるわけでもない、くらいのものがあったのでブログに掲載しようと思う。(誤字脱字含め…

好きなことで飯を食う人生に未だに憧れてる

中川淳一郎『仕事に能力は関係ない。 27歳無職からの大逆転仕事術 』を読んでそう思った。 「ウェブはバカと暇人のもの」中川淳一郎氏が27歳で、勢いで株式会社博報堂をやめてから、フリーライターとしての勘所をつかむまでの一年間を振り返った自叙伝(1年…

日記を書くことの意味について

日記を書くことの意味について。日記は、出来事が起こっている最中または直後(これは最中とほぼ同義だ)に書かれるものであって、後になってから書かれるものではない。つまり、日記にはストーリーがない。講釈がない。あとづけがない。後日談がない。 日記…

稲盛化する社会について

何もすべきことがないので一日中怠けたり、本を読んだり、ぼーっと考え事をしたり、怠けたりしていた。 暇だったのでウィキペディアで稲盛和夫の項目を読んでいた。父が昔京セラに勤めていて、稲盛さんの本は何冊か家にあった。その中の自伝みたいなものは、…

イルカと人権と宇宙人

欧米人がイルカを殺すなと主張するとき、そこには人権の適用範囲をなるべく広く取りたいという意図が背景として存在する。彼らには、イルカは賢く、人間に近い感性を持ちうるという仮定がある。この仮定に基づいて殺傷与奪の基準を定めるとき、殺して良い人…

決断と意識とアルコール

意識とは絶えざる決断の出来なさによって形作られている、という話について。 ある事象に対してAという欲求、Bという欲求、Cという欲求がある。それぞれは互いに排律的で、同時に二つあるいは三つを達成することはできない。たとえばある高校三年生が進路に…

アーティストかエンターテイナーか

ある表現が、攻撃的で先進的で、まだ誰も見たことのない形で、社会のフロンティアに生まれ落ちる。その前衛的な表現は、それを己の世界認識システムに取り込むことのできない大勢を置き去りにして、一部のセンシブルな人々にキャッチされ、芸術とラベル付け…

幻視する力

今日煙草を吸ってるときに思ったこと。 ツイッターをやっていた時、ツイッターのタイムラインを流し見するのはいつも煙草を吸っているときだった。だからツイッターをやめて以降、僕は煙草を吸いながらスマホの画面に俯くかわりに、空を見るようになった。あ…

人の名前と性格の関係って

自分の名前がその人の抱く世界観、あるいは人格そのものを形作ることってあるんだろうか。 本や映画などのフィクションに触れるとき、僕はどうしても登場人物たちに名付けられた名称が気になってしまう。作者の自意識や無意識が避けがたく反映されてるんじゃ…

カルマとしての怪獣と外敵としてのモンスター

怪獣映画における日米での描かれ方の違いについての思いつき。 日本の怪獣映画といえばゴジラで、アメリカのモンスター・パニックスリラーといえばキングコング、エイリアン、あるいはエメリッヒ版ゴジラ。 日本型の怪獣は人間が産み出した悪を隠喩している…

裸になって何も悪くない

時は2009年。草木も眠り、冥王星がひっそりと逆行を始める4月某日の真夜中。 芸能界が誇るトリックスター・草彅剛は、都会の緑地というオーウェル的ダブルスピーク*1をおのれのケツで踏みにじりながら、心して進言した。 曰く、「裸になって何が悪い」。 決…

好きな本を薦めたいと思う人、そうするべきでない人

自分の好きな本を他人にお薦めするのが苦手だ。自分のリコメンドに対して費やされる他人の時間と労力にまで責任を負っているような気がして、構えてしまう。 今年僕は、パワーズやピンチョン、オーウェルなんかの作品から大きな影響を受け取った。読まないで…

ネトウヨ話法のおかしみについて

例の帯広市における非実在ナマポ問題を見た。内容としてはべつに見るべきところはない。でも質問者や回答者たちの書き込みが、僕が前から面白みを感じてた文言の見本市のようですごく気になって、たとえばその内の一つがこれ。 帯広のもたぶん裏で何か手を回…

ヒット曲が出せない世の中への贐(あるいは需要分散装置としてのインターネット)

ヒット曲根本の概念は 崩壊してます。 人の選択肢がありすぎて、 共通点が少なすぎる。 “@cawaiicawaii: @godofanimesong 小室さんは時代より一歩先を行ってるから、聞く側がついていかないとヒット曲が出ない。もう小室さんは、ヒット曲作れない気がする。”…

純文学って何なのか、あるいは生と死と性と精子について

ピンチョンの『スロー・ラーナー』を読んでいて、こんな文章に行き当たった。 "ある創作が純文学であるかどうかは、最終的には死に対する姿勢によって決まる" これってどういうことなんだろう。 「純文学」というのは、英語のserious literatureの訳語だ。つ…

最後通牒ゲームとウォール・ストリート

人は人の顔と相対している時には残酷になれない。ロシア人の誰か曰く、「一人の人間が死ねばそれは悲劇だが、100万人が死ねばそれは統計である」。『戦争における人殺しの心理学』では、歴史上の白兵戦でいかに多くの人々が殺しを避けてきたか、科学が発…

働かなくても飯は食えるけど

例えばの話をすれば、作家という仕事は僕の考える労働の範疇には当てはまらない。色々な雑務や面倒事を片付けたり、気乗りしない時でも顔をぴしゃんと叩いて仕事をしなければならないことがあったとしても、文章を書くのが本来的に好きであることに変わりな…

生命の特殊性に関する覚え書き、あるいは寿司ではない何か

生命は地球に固有の現象だが、それ自体はどうということはない。 確かに昔は僕も、この広い宇宙に地球だけに生物がいるなんて奇跡はありえないと思っていた。 しかし、そもそも生物・生命という概念自体に普遍性はあるのか?オリジナルだが大した思いつきで…