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『ヒトラーを支持したドイツ国民』の感想

 そもそも一国全体が卑劣な独裁者の言いなりになり洗脳を施されるなんて有りえないというのは感覚的に分かるのだが、しかし実際のところ、第三帝国下のドイツをオーウェルの描く平行世界の1984年的世界観から切り離してイメージしてみるのは難しい。

 それは一つには、日本もそのドイツと同時期に同様のディストピアを経験していて、その時に受けたこっぴどいダメージの後遺症が現在の自分たちの有り様に確かに影響を与えているのを無視できないからであるし、一つには、願わくばわれわれはその悪夢を押し付けられた被害者であって、それゆえに自業自得の強迫観念から免れたいという民族アイデンティティ上の逃避行が心地いいからでもある。

 当時のドイツといえば、高度な教育を受けた6000万もの人口を抱えていた世界有数の文明国だ。そんな先進国がヒトラーという悪の権化、馬鹿げた地獄の使い魔を進んで支持していたとは考えたくないわけだ。

 しかしこの本は、その出来れば見て見ぬふりしておきたい現実をしっかりと頭に叩きつけてくれる。ヒトラーが持ち前のマーケティングセンスをフル活用して国民のニーズを的確に読み取り、国民の不安を心地良く和らげ、国民の願望や私利私欲をことごとく満たしていった先に、国民にとって理想の独裁者であろうとし続けた先に、例の終末的な敗戦と未曽有のジェノサイドが待ち受けていたのだという現実を。

 

ヒトラーを支持したドイツ国民

ヒトラーを支持したドイツ国民

 

 

4年前の中東旅行日記(ベータ版)

Evernoteを遡っていると見つけたので、ここに公開しておこう。(この文章を書いたのは2013年6月ごろのようだ。)

2012年の8月・9月、大学生活最後の夏休みに、7カ国(ドバイオマーン・エジプト・ヨルダンイスラエルギリシャ・トルコ)をバックパッカーした時の話。ほんのさわりの部分だけを書いたもの(すぐ飽きたっぽい)。このベータ版では最初の3日間くらいだけ。旅行の予定を立ててから飛行機に乗り、最初の目的地のドバイでの滞在1日目までのことを書いている。いつか続き書きたいな・・・(一応、旅行中に毎日つけていた当時の日記は残ってるので)。

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バイで撮った2枚。iPhoneで撮影

 

出発前1(旅資金を貯める)

【2012年2〜5月】

 それに親でも殺されたかのように働くことが嫌いな僕だが、2012年の春先から初夏にかけては、毎日のように朝から晩までバイトに励んでいた。大学を留年し、これといった当面の目標もなく、日々を怠惰に過ごす。宇宙の奥底へ続く真空空間のように茫漠とした時間の厚みを、本や映画やネットを消費することでさらに薄く引き伸ばす。そんな生活を送っていた僕を連日連夜のアルバイトに駆り立てたものは、夏休みに予定していた2ヶ月間の海外一人旅への切望だった。

 旅好きの友人に影響を受けて以来、大学の長期休暇を利用して中国・東南アジア・ヨーロッパを一人で回ってきた僕は、次なるターゲットを中東地域に定めた。想像したのは焼けるような砂漠の大地と、エキゾチックな宗教を熱心に実践する人々。そして何より、これまでの旅よりも遥かに難易度が高そうな気がすることが僕の冒険心を刺激したのだ。冒険心というと聞こえはいいが、実際のところそれは怖いもの見たさであったり、周りの人に対する自慢欲求だったり、あるいは単なる破滅願望でさえあったかもしれない。いずれにせよ、中東を旅行することを考え出したらワクワクが止まらない気分になった。行くしかない。そう思うと、働く意欲さえ湧いてきた。

 

出発前2(行き先を決める)

【2012年6月〜7月】

 バイトをしながら、来たるべき中東旅行に必要なものを徐々に揃えていこうと考えた。まずはガイドブック。バックパッカーお馴染みの『地球の歩き方』を本屋で立ち読みすることにした。旅慣れた人は、ガイドブックの携帯はむしろ旅の楽しさを削ぐものだとよく言う。過去3回の一人旅で僕はこの『地球の歩き方』を持って行った。自分が旅慣れているのか分からないが、今回も持って行くかどうかは後で考えるとして、大まかなイメージを掴むため、そもそもどの国を訪れるかを決定するために、ひとまず目を通そうと考えたのだ。

 そう、僕は中東地域へ行くとだけ決めたが、具体的にどの国々をどのようなルートで回るか、あるいは回ることができるのかということを、その時点では考えていなかった。僕には「憧れの都市」がいくつかあって、その存在が僕を海外旅行に向かわせる動機の一つでもあるのだが、今回の中東地域でいえばそれはイスタンブールエルサレムだった。僕が説明するのもおこがましい、存在を想起するだけで脳に重みを感じる文明の交差点、歴史の交差点であるイスタンブール。そして、3つの宗教の始発駅であり終着駅でもあるエルサレム

 特にエルサレムは僕にとっての憧れだった。僕は(ほとんど全ての日本人と同じように)何の信仰も持たず、どの神様も信じていないために、宗教の存在に対する漠然とした好奇心を昔から持ってきたし、本を読んだりして自分なりに学ぼうとしてきた。尊敬する作家や学者やスポーツ選手や映画監督・映画俳優、彼らのように聡明で立派にすぎる人格を備えた人々が、なぜありもしない「神」への感謝をとなえたり、嘆いたり、あるいはあの手この手で反逆を試みたりするのか。欧米の青年がするように、自身の信仰への疑問や信仰が無いことへの疑問を感じた経験のない、ごく平均的な日本人青年である僕にとっては、信仰を持つことは謎に満ちた行いだと感じてきたのだった。もちろん単にエルサレムに行けばその謎が解けると考えたわけでははい。現在の地球人口と近代史の大部分の性格を形作ってきた3宗教を生んだ地に足を運ぶことで、それらを生み出したエンジンのようなもの、もしくはある種の魔術のような空気に浸れるのではと、むしろ自分本位に妄想したのである。

 トルコとイスラエルを軸とすれば、他の訪問国候補は陸続きのエジプト、ヨルダン、シリアに自動的に決まる。しかし、中でもシリアはこの時、2010年以降の一連の革命に端を発する内戦が勃発していて、次第に激化していく様相を呈していた。中東へ行くことに対してまず第一に想像したリスクは、テロに巻き込まれる可能性。具体的にイメージしたのはやはり、イラクでの日本人バックパッカー人質殺害事件だった。旅先で詳しく知ることになるこの事件だが、出発前は「なんとなく怖い」程度の印象しか持っていなかったし、例の殺害動画も閲覧したことはなかった。

 本来これらの国々を効率良くまわろうと思えば、カイロ→イスタンブールというルートで一直線に行けるのだが、エジプト、ヨルダンイスラエルと行った後には、内戦中のシリアは迂回しなければならない。小アジアからトルコへ抜けるルートを情勢不安定なシリアとイラクに塞がれているから、したがってイスラエルからは飛行機で移動することになる。ということは、イスラエルの次はトルコの隣国ギリシャに寄るのが好都合だ。ネットで調べれば、アテネからイスタンブールまでは国際バスで安価に移動できるらしい。

 さらに、『地球の歩き方』を眺めているうちにドバイにも行ってみたくなった。気がかりだったのは物価の高さ、そして、現代随一のリゾート・ビジネス都市にバックパッカーとして訪れてもやることはあるのだろうか、居場所があるのだろうか、ということだった。しかし『地球の歩き方』を見る限り、低所得者層が住む旧市街地も観光地として訪れることができるという記載があり、とりあえず今回の行き先に含めることに決める。そしてついでに、隣国のオマーン(首都マスカットまでドバイからバスで4時間程度)にも訪れることにした。オマーンについては、"サッカーで勝たせてくれる国"程度の認識しか持ち合わせていなかったが、日本人があまり行かなそうだし、マスカットという首都の語感にみずみずしいイメージを感じて、なんとなく行ってみようと考えた。

 これで訪問国のイメージは大体決まった。
バイオマーン→(空路)→エジプト→ヨルダンイスラエル→(空路)→ギリシャ→トルコ→帰国。2ヶ月間で7か国。ややゆったりめの旅程で、急がず暇せずちょうどいいペースで回れるスケジュールだと思った。

 

出発前3(航空券購入/成田空港へ)

【2012年7月・8月3日】

 航空券を買うためにHIS、トラベルコ、Skygate、Skyscannerなどを巡回する。ルートとしてはドバイin・イスタンブールoutのオープンジョー航空券に条件を限定し、所要時間がかかってもなるべく安いもの探すようにした。ヒットした一番安い航空券が、中国東方航空を利用で中国国内で2回乗り換え、所要時間27時間というものだった。27時間!これが漫画だったら思わずギザギザのふきだしに入れたくなるところ。時差5時間のドバイまで行くのに27時間を費やすことにアホらしさを感じないわけにいかないが、安いので仕方ない。空港のベンチで一夜を明かすことにも抵抗はないので、このチケットに決めることにする。

 8月3日、出国日。以前の旅行でも使っていた40Lのリュックに最低限の着替えと洗面具、暇つぶしの文庫本数冊を詰め、所持金とパスポート有効期限を確かめて成田空港へ向かった。性格上の不可抗力によってチェックイン時間ぎりぎりに到着。出国フロアのATMで海外引出用の新生銀行の口座に資金をつめ、チェックイン手続きと手荷物検査を受ける。海外に行くのは今回で4度目なので、この辺の雑務では迷うことはない。と思いきや、中国東方航空の規定で、ライター(手荷物でも預かり荷物でも禁止)と歯磨き粉(一定量以上の"液体"の持ち込み禁止)を没収されてしまう。僕は朝と夜は歯磨き粉をたっぷりつけて歯磨きをしないと駄目なたちだから、これはかなりショックだった。中国東方航空には歯磨き粉を用いた爆発テロの被害経験があるんだろうか?ていうか、そもそも歯磨き粉は液体だろうか?歯磨き粉の液体性には、僕の気づかない潜在的セキュリティホールの匂いをほのめかすような何かがあるんだろうか?

 唯物論的歯磨き粉について考えながら僕は搭乗口へ向かい、その途中で夕暮れ時の赤いスペクトルを浴びる中国東方航空の航空機を空港の大きな窓の向こうに見つけた。中華風BGMと若干のアンモニアの臭気が漂う機内に乗り込み、エコノミー・クラスの青色のシートに腰を下ろしたのは出発予定時刻15分過ぎだった。

 

出国〜中国でトランジット(上海空港ロビーに泊まる)

【2012年8月3日】

 僕が乗った中国東方航空の便は3時間ほどのフライトを終えて、上海にある浦東(プートン)国際空港に着陸する。現地時間は19時ごろ。この空港ロビーで夜を明かし、翌日の昼に別の便へ乗り換えることになっていた。おそらく日付をまたぐためか、一度イミグレーションを越えて中国国内へ入国しなければならず、このトランジットが僕にとって初めての中国本土上陸となった。しばらく空港ロビー内をぶらぶらと歩き回ったあと、今夜の寝床を確保しておこうと、寝心地の良さそうなベンチを探すことにする。まだ夜9時前だったと思うが、空港内は中国最大都市の空港と思えないほどしんと静まりかえっていて、一方であちこちに散らばるベンチは、香港のチェクラプコク国際空港ほどではないにせよ、それなりの数の"宿泊者"がすでに陣取っていた。市内に出てホテルに泊まらずに空港内で野宿することが恥ずかしいと急に思い始めて(当たり前だ)、できるだけ端の方のベンチを確保。その手すりに自転車用のチェーンロックでリュックを繋いだ。

 寝る前に小腹に入れるためのサンドイッチか何かをファミリーマートあたりで入手しようと考えたが、空港内の店舗では人民元しか使えないことを知る。僕はこのとき、成田で両替した200米ドルと余りの若干の日本円しか持っていなかった。経験上、あと常識で考えても、国際便が到着するような空港なら米ドルくらい使えて当たり前、東アジア圏なら日本円すら通用するんじゃないか、という考えは浅すぎたみたいだった。機内食は食べたわけだし、サンドイッチとミネラルウォーターを買うためにATMで手数料を払って人民元をおろすのはバカバカしいと感じて、翌日昼の便の機内食まで断食を貫くことにする。

 

 

トランジット〜ドバイ空港到着(昆明空港/飢えと乾きとシャットダウン)

【2012年8月4日】

 ようやく乗り換え便の搭乗時間が近づいてきて、出国手続きカウンターをフライト一覧のボードで探す。昆明でもう一度乗り換えて、夜7時すぎにはドバイに辿りつけるようだ。

 諸々の手続きを終え、イミグレを越えて、自分の搭乗口付近でもう1時間、暇をつぶさなければならない。金が無いため前日の夜から飲まず食わずで、頭がぼーっとしてくる。文庫本を読もうとしても30分で5ページも進まない。何も生産的なことが考えられず、脳が人間としての機能をシャットアウトしている感じがする。人間の生存本能というものはすごいもので、体内にストックされた残りエネルギー量に応じて自動的に出力を調節する仕組みがあるのかも。ベンチに深く座って前かがみになり、ただ行き交う中国人旅行者たちを眺め続ける。資本主義化した社会主義者というプロトコルを纏った御年4000歳の眠れるサバイバーたち―――みたいに見えてくるが実際には家族と親族と仕事の内側で生きる普通の人々だ。ようやく乗り込んだ機内で20時間弱ぶりの食事をとる。エコノミー・クラスの粗末な機内食がこんなにおいしいんだと初めて知った。断食は最高のグルメかも。

 2度目の乗り換え地である雲南省昆明の長水国際空港はその名に宿命的な大雨に晒されていて、それと同じくらい宿命的に僕は、またもや若干のイレギュラーと遭遇。機材トラブルか何かで搭乗予定の便が欠航になり、すでに搭乗していた僕たちは搭乗口の待合室へ連れ戻された。振替便は未定だそうだ。大多数の中国人客は配られた弁当をかっ食らい、わずかの白人客は大きな身体に不安そうな表情、唯一のアラブ人客は自前のマットを敷いて地面に頭をこすり続けている。

 やがて空港職員が現れ、外に出るための特別パーミットを発行するから希望者は付いてくるようにと告げて、やっと出航かと希望を抱いた僕たちにため息を吐かせた。いい機会だし空港の外観を見てみたいと思って僕は彼に付いていった。パーミットの希望者は僕以外は全員中国人客だったようだ。

 昆明長水国際空港は思ったより巨大なターミナルで、上海浦東国際空港の比ではないほど賑わっているように見えた。素粒子くらいランダムに動きまわる中国人の群れを交わしながら、なんとか僕は外へ出ることができた。もう雨は上がっていて、路上には中国人民とまったく同じ数のタクシーとバスと自家用車が駐車している。空港の外観は東アジア圏外からの外国人旅行客に中国の民族的イメージを喚起させるためのオリエンタル・デザイン。頂点からゆるやかに裾野に広がる三角屋根を戴き、壁面にはアナログに波打つオブジェが無数に這っている。一時その外観を見続けて、iPhoneのカメラで何枚か写真を撮り、喫煙所にいた人にライター(成田で没収されていた)を借りてタバコ(ほぼ1日ぶり)を吸い、搭乗待合室へ戻ることにした。

 戻って少しした頃に出発決定の報せがあり、待ちかねたドバイ行きの機内へ乗り込む。エコノミー・クラスの座席やその機内食をこんなに切望した一日は、たぶん人生で初めてだっただろう。ほんとうに何も持っていない時にはわずかなものでも満ち足りることができるという、学ばないに越したことはない教訓を手にして5時間ほどのフライトをしのぎ、なぜこんなに時間をかける必要があったのだろう、やっとやっとアラビア半島ドバイ首長国の地面を踏むことになった。

 

バイ1(空港から市内へ/運河と渡し船のファンタジー)

【2012年8月5日】

 現地時間午前3時、成田出発から30時間を要してドバイ国際空港にたどり着いた。砂漠に屹立するはずの摩天楼はまだ見えない。

 僕が降りたドバイ空港のターミナルは、テレビかネットかどこかで見たような巨大でモダンな代物ではなくて、かなりこじんまりとした、第三世界然とした古ぼけた作りだった。どうもLCC向けの古い方のターミナルだったみたいだ。

 入国管理所のゾーンは(深夜だから当たり前だが)、わりに閑散としている。一方で、白装束の民族衣装に身を包んだイメージ通りのアラブ人を何人か見かけて、少しわくわくする。パスポートにスタンプを押す係のスタッフもそのような衣装で、こんなラフ(に僕には思える)でサンダル履きの格好で仕事をする入国審査官は滅多に見ることができないだろう。しかし、少なくとも、中国や東南アジア諸国やイタリアの空港職員と比べてしっかりしているというか、白装束をきっちりと着こみ、外国人に与える印象を客観視してコントロールしようとしているような、スマートな印象を受けた。

 メトロの始発時間まで1時間ほど、ロビーのベンチに座って暇を潰そうと考えたが、空調が効きすぎていて、半袖半パン・ビーチサンダルの格好では寒すぎて10分も我慢出来ないくらい。正直言ってかなり凍えた。上着も持ってきていない。実際のところ、中東圏を旅行するのに上着が必要になるなんて思いつきもしなかった。

 だけど、そう、ここは砂漠の国である。外には天然の暖房が誰かの思し召しによって準備されている。そういうわけでロビーの出入口から外に出てみれば、思った通り、いや思った以上にむっとした熱を帯びた空気の塊に捕らえられることになった。まだ夜明け前なのにかなり暑い。40度はあっただろうと思う。初めて体験する中東の暑さは、東南アジアの熱気や、日本の夏のじめじめとした蒸し暑さとはまったく違うものだ。からっとしていて、それでいて今まで経験したどの暑さよりも暑い。ほんとうに暖房の中にいるような感じだ。

 メトロに乗って旧市街の中心部、オールドスーク近くにある安宿にチェックインする。受付にいたアフリカ系の若者はフレンドリーだが、ここで初めてのアラブ式交渉術のレッスンを受ける。「中東では全てのものに値段があって値段がない」とは、日本にいてさえ耳にするフレーズだ。彼と何度か値段の言い合いをして、1泊120ディルハム=約2400円で泊まることにした。スイスやドイツ並だろうか。バックパッカーとしての経験からから考えるとかなり高いが、ドバイ最安は交通の便の悪い郊外にあるユース・ホステルの100ディルハムだと聞いていたので、ダウンタウンならまあこんなもんだろうか、という判断。

 部屋に入って、荷物を下ろし、そのままベッドに横になる。時差ぼけと疲労が6時間の睡眠を僕に強いたあと、昼過ぎに起きてシャワーを浴び、腹をふくらますため外出することにする。

 ドバイの正午過ぎは信じられない暑さ。信じられない暑さに思わず笑ってしまう。46度という気温、さらにこの日は、風がかなり強く吹きつけていて、まるで全身に熱風のドライヤーを浴びせられているような感覚だった。強風によって街全体が砂の霧に覆われていて、遠くに見える新市街の高層ビル群は、instagramでセピア処理のフィルターをかけたようになっていた。

 しばらく散歩するが、ラマダン中ということでレストランや食堂はどこも開いていない。それどころか表を歩く人自体ほとんどいない。日中のうだるような暑さにくわえて断食月間とくれば、外に出るメリットなど何ひとつ無い。考えて見れば、まあ当然だろうか。宿の辺りで唯一営業していたのはマクドナルドとケンタッキー・フライドチキンのみ。多くの旅行者と同じように、せっかくの海外旅行でのファースト・フードはなるべく避けたいと思うけど、多くの旅行者と同じように、足に力が入らないほどの空腹を前にしてはささいなポリシーは機能しない。グローバリゼーションの恩恵によって、日本を発つ直前とまったく同じメニューをここドバイで腹に入れて、また街歩きを再開する。

 人影のまばらなオールド・スークをひやかし、猛スピードで行き交う車に轢かれそうになりながら片道4車線の道路を渡って(人の通行は少ないが車はやたら多い)、市内を伝統的地域と新興のビジネス・リゾートエリアに真っ二つに切り分ける運河に行き当たった。

 この運河には渡し船があって、アブラという名前で呼ばれている。20人ほどが乗れる、モーターで動く木製の小さな舟で、料金は片道1ディルハム=約20円。乗客が集まって満員になるまで待って出航する。反対岸に着くまでおよそ5分足らずだが、この舟に乗るのがなんとも心地いいのだ。河から吹き上がる冷たい風は汗を乾かしてくれるし、きらきらと反射する水面は砂漠の国にいることを忘れさせてくれる。河の向こうには全身で輝く高層ビルが見える。空にはもやのかかった太陽が浮かび、大気中に舞い上がった砂々に光を当てて空全体をノスタルジックなスクリーンに変えている。アブラに乗っているときは、ドバイ全体がマジック・リアリズムの世界に思えてくる。これがほんとうに楽しすぎて、これ以降も何の目的もなく何度もこの舟に乗ることになったのだった。

好きなことで飯を食う人生に未だに憧れてる

  中川淳一郎仕事に能力は関係ない。 27歳無職からの大逆転仕事術 』を読んでそう思った。

ウェブはバカと暇人のもの中川淳一郎氏が27歳で、勢いで株式会社博報堂をやめてから、フリーライターとしての勘所をつかむまでの一年間を振り返った自叙伝(1年でまともな稼ぎを得るまでにはならなかったが、フリーランスで仕事をしていくための要点を掴んだようだ)。そういえば学生の時、一橋大学で行われた中川さんと常見陽平さんの講演を聞きに行ったことがあった。

面白かった。俺もはやくフリーになりたい。正直、今週から始まる新たな職場での仕事が、ほんとうに自分のやりたいこと(つまり、何もせずぼーっと本を読んだり旅行したりテレビやインターネットをして日々を過ごすこと)にどの程度繋がるのか、疑問が湧いてこないでもないというか疑問だらけだ、今すぐ地方移住したほうがいいのではないだろうか(ところで、俺が学生だった3, 4年前まではキャリアプランとしての地方移住なんて概念はなく、あったとしても早稲田の自意識過剰な学生が真剣に検討する選択肢ではありえなかった。つまりこれはただの流行り物、儲けの意図を持った誰かに洗脳されてるかもしれないという疑問が湧く。勢いで行動すると馬鹿を見るのではないか)。

まあでも、嫌だったら1年位でやめて別のことやればいいわけだし、逆に言えば1年は一生懸命やればいいのだし。無職期間中に、これこれをやりたいという欲求がまだ死んでいないこと、その目標を思いついてから3年たったがまだ実現したい思いを持っていることを確認したので、きちんと続けていくこと(つまり毎日少しでも積み重ねていくこと)をやっていこうと思う。と思ってこの日記を書いているわけだし。

とくに就職してから2年間は、本を読む数も減ったし、文章を書く癖も全く消滅してしまった。学生時代は毎日つけていた日記や雑記も、就職してからはほとんど書かなくなった(おかげで考えたことや経験したことの細部がほとんど記憶に残っていない。そういう細部というものは、楽しかったり一生懸命やってれば自然と覚えているものだから、前職はあまり向いていなかったのだと思う。)。書くとしても仕事上の気づきとか、休み中に月曜からやるべきことのまとめ、改善案の走り書き程度で、無意味な文書や架空の話を(得に5000字以上とかの長さで)書く癖が全くと言っていいくらい消え去ってしまった。。。

読む本も即物的な、長持ちしないものばかり読むようになってしまった。上下巻とか、500ページ以上あるような本を読むのがめちゃくちゃ遅くなった。あるいは全く読みたいと思わなくなってしまった。

結局のところ毎日が忙しすぎて、休みは休みで何にもしたくなさすぎて俯瞰的な視点というか、自分自身を斜めに見て、他人事として考える習慣がなくなったしまったんだと思う(仕事していると、やたらと、当事者意識とか自己責任とかを自分に信じ込ませていないとやっていけないし。)

7月からまた仕事が始まるわけだけど、今度はきちんと継続的に、文章をEvernoteに貯めていく習慣を失わないようにしなければ。と思った次第であった。

熊本に行ってきた

熊本は中・高・浪人時代を過ごした地元。親が転勤族なので出生地にはあまり愛着がなく(知識もない)、出身を聞かれたら、土地勘があって友達も多い熊本をあげることにしている。

今回の震災にあたって相当額寄付したし、そもそも地元だし別にいいだろうということで、単に様子を見に行ってきた。

僕が行った日は石原軍団とキムタクなどが来ていたらしい。ミーハーだから普通に行きたかった。

福岡・天神バスセンターからバスで2時間。「震災特別ダイヤ」で運行中とのことだが、昔と変わりなく20分置きくらいで運行されていた。

 

バスに乗る前に食べた「久留米 大砲ラーメン」。

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バスは益城ICから下道に降りたが、見たところ変わった様子はない。瓦屋根が剥がれてブルーシートがかかっていたりはしたけど。あと墓地も崩れてめちゃくちゃになり、墓石が隣の墓石に倒れかかっていたりはしていた。

 

市内中心部(通町筋)の様子。あまり変わらない。遠くに見える熊本城はテレビでやってた通りシャチホコがないっぽい。

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震災よりも、ダイコクドラッグが熊本にまで進出してきてることがショックだ。

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熊本城に行ってみたけどこんな感じ。入り口が封鎖されていて、いたるところが立ち入り禁止になっていた。テレビで見たのと変わりない。

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夜に高校の友達数人と下通りで飲む予定だったので、中高時代に住んでいたあたりの様子を見に行った。

ところで、熊本市民は下通り・上通りなどの市街中心部のことを「街」と呼ぶ。熊本では街といえば一つしかないということだ。

友達によると震災直後は市内でも地割れが多かったけど、すぐにならされたらしい。今でも車で走るとボコボコしてるのがわかるらしい。東日本大震災の時もそうだったけど地震直撃の地域以外は割とすぐに日常生活に復帰するようだ、別に市内全体がテレビで見たようにめちゃくちゃになってるわけでもない、当たり前だけど。

というわけで地震については大きく問題はない(あくまで僕が過ごしたことのある周辺に関してだけど)、問題は僕自身が熊本弁を全くしゃべれなくなっていたことくらいかな。熊本で過ごしていたのが7年間で、東京に来てからはもう9年経とうとしているので、まあ当たり前っちゃ当たり前かもしれないが。

もうちょっと東京で働いて金とスキルを蓄積したら、熊本に帰って暮らすのもいいかなあと思った。落ち着くし、あれくらい蒸し暑い方が僕は過ごしやすいかもしれない。

 

6/9の日記

(一旦下書きで公開)

福岡の実家に帰るために朝4時半起きで成田空港に向かった。ジェットスターの成田発福岡行き、値段は6,000円くらい。これだけ安いと他の航空会社を検討する理由がない。

東京駅から1,000円バスに乗って成田第3ターミナルへ到着した。朝7時過ぎ。今回初めてジェットスターのウェブチェックインを利用したけど超便利。紙をなくすのは本当に良いことだと思う。なんでも紙で提出させようとする公共機関・上司・企業は地球環境に対するテロリストとみなしてもいいと思う。

飛行機の中ではAmazonプライムで『超高速!参勤交代』を見た。設定は面白い(北関東の小国が参覲交代から帰ってきた数日後に、金山接収を目論む幕府から5日以内に再度参覲交代しろでないと藩をとり潰すとお達しが来て、超高速な参覲交代を実行する)のに、リテラシーの低い視聴者(視聴者というのはつまり、例によって映画館で観る人よりも地上波で見る人を想定されている)に合わせてつまらなくなってしまっているパターン。残念。ユーモアだけ一点突破で突き抜ける方が絶対面白くなったと思うけど仕方がない。役者はみんな好演だった。

昼の1時過ぎ頃に実家に到着。その後昼寝して(LCCを使わなければならない貧困のせいで2時間しか睡眠できなかった)、ヤフオクドームに「ホークスvsベイスターズ」の交流戦を家族で見に行った。

久々に野球を生で観戦した。昔より、なんか、プロ野球に外国人少なくなったなあと思った。ベイスターズの外人は本当にひどかった。。。

10時半くらいに家に帰ってきて、コンビニサラダ食べて氷結ストロングゼロを飲みながらこの日記を書いている。

明日は日帰りで釜山に行ってみようかと思って(福岡からフェリーで3時間、飛行機で1時間くらい)一応パスポートを持ってきたのだが、交通手段の関係上、意外と滞在時間が短いことに気づき、中止。持ってきた本を読んだり天神のカフェを渡り歩いて勉強でもしようかな。

(6分で作成)