インド旅行の記録(2019年12月)
2019年12月、コロナ禍直前に行ったインド旅の旅行記です。
- 1日目 東京 → デリー
- 2日目 デリー街歩き
- 3日目 デリー → アグラ日帰り&タージ・マハール
- 4日目 デリー → ヴァラナシ 移動
- 5日目 ヴァラナシ街歩き
- 6日目 ヴァラナシ 何もしない日
- 7日目 ヴァラナシ 街歩き
- 8日目 帰国日 ヴァラナシ → デリー → 東京
1日目 東京 → デリー
長い1日だった。6時半に起きて7時半に家を出た。気温は2度とかなり寒い。通勤ラッシュの総武線で新宿に行き、予約していた成田エクスプレスに乗り換えた。はじめて使ったので場所が分からなくて少し焦った。無事乗り換えが完了し、予定どおり9時半に成田着。エア・インディアの出発がなぜか20分早まっていたので少し焦る。いきなりインドみを感じた。
チェックインはかなりスムーズにいった。成田空港は自動化がかなり進んでいて楽である。チェックインにて、アライバル・ビザが降りなくても航空会社は責任を取りませんという承諾書にサインさせられる。窓口のお姉さんに、アライバル・ビザを取るのでビザは今はない、と言ったら、まったくもう・・・みたいな反応をされた。
出国後エリアの吉野家で牛丼で腹ごしらえして、AM11時ごろ、機内搭乗。エア・インディアの機内はいきなりカレーの匂い。そして機内食が速攻カレー。いきなり辛くて汗が出まくった。モニター部分に備え付けのUSB充電ソケットが機能しておらず、まあこんなもんかと諦める。早くもインドみを感じた。ちなみに隣の席もUSB使えなかった。機内は結構空いている。あんなに高い航空券だったのに、直前にとればもうちょっと安く済んだのかも。
10時間ものフライトだったにもかかわらず、ドリンクサービスが1回しか来なかった。しょっぱなは少し気分が悪かったのでパスしたら、それ以降こない。インドで手に入りにくいとされるビールを飲みたかったのに・・・。結局、フライト中は寝たり、Huluで『旅猿』のインド編を見たりしていた(この旅のきっかけ)。着陸直前にトイレに篭ってコンタクトをつける。
ようやくインディラ・ガンディー国際空港に到着。超綺麗で、モダンな空港で、まったくインドみを感じない。ターミナル内に入ってすぐのところに喫煙所があったので助かった。タバコを吸っていると、隣の席だった日本人から声をかけられた。川上さんという人。30前半くらいかな。初めての海外旅行でインド一人旅とのこと。どこかで会ったら仲良くしましょう、といって別れる。
さっそくアライバル・ビザの手続きへ。これが難航し、時間がかかった。海外イミグレあるあるの、いきなりカウンターが増えて整列ルートが開き、そっちに行くか行かないか・・・という判断でまず負け。こういうタイミングでは必ず新しい方のカウンターに行った方がいいな。ついリスクを恐れて保守的な判断をしてしまう。そして次に、機内でもらった入国カードを紛失して並び直しになるというミス。しかもまたスタッフの仕事が遅いんだよな。手続きの方法わかってないんじゃないか? 結局、なんやかんやでビザをゲットするのに2時間近くかかった。その後、時間が経ちすぎていたので荷物が出てこず、ラゲッジ・エリア内を駆けずり回ってロスト預り所で発見したり(係のおじさんが、俺が預かっていたからチップ寄越せと言ってきたがスルー)、両替したり、メトロのトークンを買うのに並んでようやく9時過ぎに空港を後にした。インドは何をするにも行列に並ばなければならない。しかし、俺も海外旅行初心者ではないので割り込みは一度も許さなかった。
エアポート・メトロは超綺麗で超モダン。そしてニューデリー駅に到着。これはすごい、インドのエネルギーとはこういうことか。謎に七色に輝くニューデリー駅の駅舎、そのふもとをうろつく無数のインド人たち、俺が何度も無視した客引きたち、自由にうろつく犬と牛たち。プラットフォームのインド人の洪水。パパ~ン↑という耳障りな発車ベル音、地の果てまで整然と並ぶリキシャ。正直ビザ取得のあたりでだいぶ疲れていたが、これは歩き回るのが楽しそうだなとテンションも上がってきた。
ちなみに、地球の歩き方やネットでニューデリー駅の嘘つき客引きがひどいという話が出回っている。確かにたくさん声かけられるが、無視してるとそんなに追ってはこない。事実今回は別になんのストレスもなかった。一人旅の寂しさ、不安から話を聞いてしまうのがよくないんだろう。実際、一度小声で「ノー」と反応してしまった時はちょっと追ってきた。そういうシステムになっている。
ニューデリー駅の正面に構えるメイン・バザールとその周辺はまたすごい(ちょうど舞浜駅とディズニー・ランドのワールド・バザールのような位置関係だ)。光り輝くメイン・バザールの奥までは今日は入っていかない。Expediaで予約していたプライム・バラジへ行く途中、旅行会社や食堂の熱気、うるささ、ちょっとだけ客引き、うろつく犬、いきなり曲がり角からのっそりと現れる牛。
プライム・バラジ・ホテルにチェックイン。まあこんなもんかといった汚さのビジネスホテル。シーツとかは特に不潔そうではなく(清潔そうでもない)、ホットシャワーも出るのでまあいいか。デスクにはバナナ、りんごなどの果物(インドの生ものは食べたくない)とプリングルス(これは工業生産品なので安心だ)、ミネラルウォーターも置いてある(当然、ふたが空いたものでないかすぐに調べる)。
部屋で休んでいると、ボーイがやってきてビールを売り込んできた。600mlくらい入った一瓶で200ルピーだという。正直めちゃくちゃ今すぐにでも飲みたかったが値段が怪しい、インド人が初手から定価で売り込みをするはずがない。値段を調べるために一度断ってみて、時間をおいてレセプションのスタッフに価格をヒアリングしにいった。ビールは200ルピーだと彼が言うので、さっきのボーイを呼びつけてに200ルピーを渡すと、いや、300ルピーだと言う。さっき200て言っただろ?いや、言っていない。思ったとおりの展開。レセプションに再度値段を確認しにいくと、今度は300ルピーだと言う。じゃあいらないと部屋に引き下がり、さっきのとはまた別のボーイが来て、300ルピーでどうだ、酒屋に買いに行くための手間賃も必要なんだ、今日は飲みたいだろ、なら250ルピーでどうだ、夜だから高いんだよ、というインド流価格交渉のレッスン。初めて行く先進国以外の国では、なるべく旅の初期の段階で、損してもいいような価格のもので現地の価格交渉トレーニングを積んでおくとその後の旅がややコントロールしやすいものになる。当然断ったが、あとでビールの価格相場をググってみると、デリーなら缶ビールは通常90ルピーくらいで売っているが、なかなか買える場所がないのでその場合はホテルに頼んだほうが楽、その場合の相場は200ルピーくらいとのことで、実はまあそんなにぼったくりというほどの値段でもなかった。でもこれで少し分かったことがある。現地では人によって・タイミングによって・話し方によって物の値段が変わる、ということではない。もう昔の貧乏旅行者じゃないんだからちょっとくらいのボッタには目くじらをたてない。不快な気分になるほうが損をする。物の値段が100ルピー(150円でしかない、この旅の直前までやっていた仕事の報酬で言えば数分相当ということだ)かそこら違うからといって何かアクションを起こすべきではない。
結局ホテルについて一息ついたら23時を回っていたので、今日は晩飯抜き。正確にはバナナふたふさのみ。明日おいしい朝食を食べよう。これを書いている今がもう12時半。もう寝よう。日本時間だともう4時だ、22時間も起きていることになる。10時間のエコノミーでのフライトもありさすがに疲れた。明日は8時前に起きて、朝食、アグラ行きのチケット予約、そして午後は町歩きとカレーだ。
2日目 デリー街歩き
昨日の夜はなんだかんだで時差ぼけ? で眠れず、今朝10時ごろまで寝ていた。
起きてまずは明日のアグラ行きのチケットを予約しに、ニューデリー駅の外国人専用トラベルデスクへいってみる。政府運営のやつだ。病院の診察待ちみたいな受付番号制で、午前中のためか人はまばらだったので20分くらいで俺の番へ。受付カウンターに向かって歩いていると、後ろから欧米人の長髪のヒッピー風の男が現れ、俺の番はまだか?もう一度受付番号を取り直したほうがいいか? とカウンターの係員に叫んだ。そしたら係員は俺に「この人の後に来なさい」と言ってきた。確かに、そのヒッピー風の男は俺がここに来たときにはすでに居たし、まあいいかと思って順番を譲った。その男が終わると、なぜか次の番号に進んで別の人が呼び出されていたので、すかさずカウンターに駆けつけて「さっきあなたは彼の後に来いと俺に言っただろ」とクレームを言うと、「もう一度番号を取り直しなさい」と言ってきた。馬鹿らしくなってそのままオフィスでを出てしまった。結局予約を取れなかったので、ネットで自分で予約するしかない。
いったん宿に戻り、近所のコーヒーショップでコーヒーを飲みながらネットでの鉄道予約の方法を調べていたが、かなり時間がかかりそうだと分かり、もう13時半になろうとしていたので、まずは昼食にしようと、いったん中断した。なんか、インド鉄道のアプリがダウンロードできないし、普通に心が折れた。
タンドリーチキン発祥の店ということで有名な「モティ・マハール」へ行くことにする。ここは有名な観光地の“レッド・フォート” ラール・キラーの近くにある。なので、Uberでラール・キラーに行こうかとも思ったが、まだインドでリキシャに乗っていなかったので、ちょうどいい機会ということで、適当なリキシャに声をかけて連れて行ってもらうことにした。Uberだと100ルピーくらいのはずが、200ルピーと高かったし、ドライバーのほかに勧誘係の変な親父もついてきたし、ことあるごとに別の目的地に連れて行こうとするし、すぐ別の方向に勝手に行こうとするし(Googleマップ見せて「直接行け」と言いまくった)、最後に降りるときに250ルピーと言ったはずだと嘘ついてきたし(無視して200だけ渡して去った)、やっぱリキシャなんかに乗っても別にいいことないな。これ以降はUberを使うようにしよう。
ラール・キラー周辺はかなりの人の往来があり、デリーの中でも相当ビジーなエリアなんじゃないかと思う。歩いて10分ほど、モティ・マハールを発見。14時もすぎていたので客はほとんどおらず、俺とイスラム系女学生?グループしかいなかった。ひとりで来ているのは当然俺だけだった。店内は高級そうな雰囲気。とりあえずタンドリーチキンのハーフサイズ、バターチキンカレー、ナンとライス、ラッシーを注文。1,200ルピーくらいしたので相当な高級料理だ。味はまあまあ。日本の食べログ3.5のカレー屋と同じくらいの美味しさ。タンドリーチキンはかたくて微妙だった。ファミチキ カレー味の方がうまい。
その後、ラール・キラーまで散歩がてら行ってみる。実際、中に入る気はなかった。まさにインドといった光景を目の当たりにする。人、人、牛、リキシャーリキシャーリキシャー人人人、みたいなかんじ。遠くから見て正面ゲートがあると思われる場所に行ってみるとそこには謎の古風な遊園地があり、入ってみるとそこが城の入り口になっていた。謎である。城の周りをちょっと散歩して、トイレに行きたくなったので観光終了。トイレのついでにメトロに入り、そのままコンノート・プレイスへ向かう。
コンノート・プレイスはインドの銀座と言われている。まあ特にみるべきものもなく、路肩に座ってタバコを吸って、鉄道予約の続きをやるのみ。でもインドで最もクールな場所なので、声かけてくる変な奴とかはいなくてまあ安心。4時間くらい歩き回ったので、Uberを拾っていったん宿に戻ることに。しかし、なぜリキシャじゃなくてUberをやっている人がいるのだろう、絶対リキシャのほうが儲かるのに。観光客を騙すのが嫌だったり、客と交渉するのが面倒なインド人もいたりするのかな。実際、俺が乗ったUberのドライバーも、あんまりガシガシ割り込んだりしないし、なんかゴホゴホずっと咳き込んでいるようなやつだった。
その後、宿で2時間ほど、例のハイテクなインド鉄道予約サイトと格闘し、なんとかアグラへの往復切符の予約を完了。まじで途中、クレジットカード認証が何度も通らずに、何度も心が折れた。
さすがにビールが飲みたくなったので、ググって見つけたメイン・バザールのバーへ。ビール650cc瓶を2本頼んだ。お腹いっぱいでビールはすべて飲めず、ボトルに詰めてもらって持って帰った。
3日目 デリー → アグラ日帰り&タージ・マハール
これまた長い1日だった。
朝5時半に起き、支度をしてニューデリー駅へ。もう3〜4回目なのでさすがにこの駅には慣れた。駅へ行くと、電光掲示板が壊れていて自分の列車が入ってくるはずのプラットフォームがわからない。インドの列車は、まずチケットを購入するところで一難、駅について自分の乗る電車のプラットフォームを特定するところでまた一難、どの車両に乗るのかを見つけるところでまた一難といった感じで、めちゃくちゃ難しい。日本の社会インフラがどれだけ優れていることか。とりあえず、時間的には出発までまだ30分以上ありそうだったので、一旦駅の外に出て煙草を吸う。まだ朝の6時だというのにものすごい活気で、メイン・バザール前の道路はすでに渋滞が発生している。
一服し、駅構内に戻ってもう一度プラットフォームを探すが、ぜんぜん見つからない。人に聞こうにも誰が本当のことを知っているかもわからないし(非先進国を旅行すると多くの人が親切に相談に乗ってくれるが、回答内容はまるでデタラメということが多くて驚く。自分が知らないことを人に質問された時、単に知らないと返すのは失礼で、嘘でもデタラメでもいいから何か答えてあげるのが親切だと思っているのかもしれない)。とりあえず全部のホームに降りてみて探す、を繰り返し、やっとこさ乗るべき列車を発見。さてホームは分かったが、次は車両を探さないといけない。インド政府が運営する切符アプリ内のeチケットにはC1車両と書いてあるが、そんな車両は見当たらない。インドの列車は20両くらいあるので、端から端まで走って確認しないといけない。ぜんぜん見つからない。超走った。結局出発時間が近づき、もう列車が出そうな雰囲気だったので、近くの適当な車両に乗り込み、eチケットに席番号60と書いてあるので一旦61番の席に座った(60番の席は他の人が座っていたが、この人も適当に座っているだけの可能性があるのでとりあえず座る)。次の駅で乗り込んできた本当にC1車両・61番座席に座るべき人のおかげで、やっぱり車両が間違っていることがわかり、正しい車両へ移動。車両を移動する時はホームに停車していても車外に出るな、中を行け、と念を押された。ようやく正しい席をみつけた。
30分ほど遅れ、3時間半ほどかかってタージ・マハールの街、アグラに到着。アグラはかなり冷え込んでいて、ぶるぶるするほど寒い。駅の外に出るとリキシャ、リキシャ、またリキシャの大群。正直、Uberで行こうと思っていたのだが、声をかけてきたリキシャの運転手を無視していると50ルピーまで勝手に下がったので、大して押しが強くもなさそうな彼のリキシャでやっぱり行くことにした。
リキシャの運転手はちゃんとタージ・マハールの東門まで連れて行ってくれた。タージで気をつけるべきことをいろいろ教えてくれたり、いい奴だったが、タージの後の観光も自分に任せろ、ここで待っているから、といって鬱陶しかったので、40ルピーのチップを渡してノーサンキュー、と言って別れた。すごい不満げな顔をしていた、こんなに親切にしてやったのに、みたいな。まあ向こうも商売だし、こっちもカスタマーなわけだから、自由取引でいいだろという気持ちなのだが。ビジネスに人情を期待されても困るわけだ。
入り口近くのカフェでコーヒーを飲み、入場用のトークンを購入。クレジットカードで買いたかったのだが、ひとつしかないクレジット専用窓口で100人分の購入処理をしている人がいてどうにもならなかったので仕方なくキャッシュを使う。切符売り場で親切に購入方法や注意点を教えてくれた人が、実はガイドの客引きだった。普通にタージ・マハールのスタッフだとさすがに思ったのだが。なぜ本物のスタッフは彼を排除しないのか?
正門から入場し、クロークに荷物を預け、本殿へ向かう。入り口の赤い門を抜けた後に見えるタージ・マハールの荘厳さは想像以上だった。正直、写真で見るのと大して違いないだろうなと思っていたのだが、リアルなタージは思っていた以上に美しかった。10分くらい見学して出ればいいだろうと思っていたが、結局1時間以上、タージ・マハールを見ていた。タージは、ムガール朝の皇帝シャー・ジャハーンが妻の墓として建てたものだ。国が傾くほどの予算を使い、20年、40万人年で作り上げたものらしい。愛する人のために、力を使い、歴史に残るプレゼントをする残すとは。そのストーリーも素晴らしいと思った。
列車の出発時間、その前に食事の時間もと考えると、もうタージを出ないといけない。正直もう少し長く滞在していたかった。お腹が減ったので、南門近くのタージ・ビューのレストランに行くことにする。いくつか見て回って、Kamalという店へ。よぼよぼのおじいさんと急な階段を上り、ルーフトップの食堂にいった。このおじいさん、足を引きずりながら急階段を登っていて、危なっかしかったので「大丈夫ですか?」と声をかけた。「大丈夫だよ、君は若いからね、私は年寄りだが大丈夫だ」といっていた。
おじいさんは、他のメニューの倍以上の値段に設定されているバターチキンカレーとタンドリーチキンを「日本人はみんなこれが好きだから」と注文させようと躍起になっていたが、昨日モティ・マハールでインドで最高レベルと思われるものを食べたためここで注文する気にはならず、普通のチキンカリーとラッシーを注文した。待っている間、遠くにみえるタージ・マハールの姿や、下に見える通りの風景を写真にとったり、おじいさんの息子だという男と会話をしたり(彼の押し売りを断り続けたり)して、ご飯を待った。列車の時間が近いというのに出てくるのに時間がかかってイライラ。チキンカレーはまあ普通、マンゴーラッシーも甘かったけどぬるくてまあ普通といった感じ。チャパティとあわせて200ルピー(300円くらい)。帰り際、おじいさんが「この街には猿がたくさんいる、物を取られないように気を付けなさい」と言ってくれた。まああちらさんも商売でやってるのだが、それでも優しい言葉をかけられると記憶に残るものだ。
Uberでアグラ駅に戻ろうと思ったのだが、声をかけられたリキシャが50ルピーで行ってくれるというので任せることに。彼は朝、駅で煙草を吸っている俺を見かけていたらしい。俺のジャパニーズ・シガーを欲しがっていたので1本あげた。こいつはいい奴だったので、20ルピーのチップを上乗せして支払った。
アグラ駅に到着。外で煙草を吸っているとまた客引きが話しかけてきた。あと30分で列車が来る予定だというのに、まだ時間があるから町を案内しようといってきた。「さすがに時間ないよ、どう考えても」と言って時計を見せると、あっちも苦笑していた。50メートルほど離れたところにバックパッカーらしきアジア人女性2人組が見えたので、彼女たちはお前の客じゃないか?と教えてあげると、あっとには行けない、と言っていた。新宿でカラオケ店の客引きのバイトをしていた時、各店舗が客を勧誘していいエリアが厳密に決められていたのだが、連中にもそういった縄張りの取り決めがあるのかもしれない。去り際に「もし列車が遅れて困ったら、俺のところに戻ってこい、車でデリーまで送っていってやる、とのこと。タフなビジネスマンだな、嫌いにはなれない。
さて、列車到着の時間になったが、やはり15分ほど遅れているようだ。改めて列車予約アプリを見ると、行きの列車には書いてあった座席表示がブランクに変わっている。帰りの列車は寝台車を予約した(1,000ルピーもする)。乗り方をググってみると、寝台車の場合、直前で駅に座席表が張り出されるようだ。直前とはいつだ?駅のどこに張り出されるんだ? 何もわからないが、駅構内を探索してみるとそれらしい電光掲示板を見つけた。だが自分の列車のものはまだ載っていないようだ。掲示板を見つめて困っている俺にインド人が声をかけてきて、アプリで俺の座席を確認しようとしてくれた。PNFコードという予約番号で検索したが見つからず、近くにいた別のおじさんに聞いてくれた。なんだなんだ?みたいな感じで、わらわらと人が集まってきた。かなりインド的な光景だ。そうしてみんなの知恵を合わせて俺の座席番号を見つけてくれて、ほっとした。最初に声をかけてくれた奴は、その後も列車が来て中まで案内するといってついてきた。チップを渡してどっかにいってもらおうと思い、そういうつもりか?と聞いてみたが、あとであとでと言って俺の隣にずっと座っていた。勝手に親切してきたやつにチップを渡すのは別に問題はない、その後も列車の遅延情報を教えてくれたりして多少助かりはしたのだが、ずっと隣に付き添ってくるのが正直めちゃ鬱陶しかった。俺はひとりでいたかったので。
結局1時間くらい遅れて、ニュー・デリー行きの列車が到着。言った通りそいつが中まで案内してくれた。待っている途中、いくらくらい渡すのが妥当か?いくら欲しいと思っているのか?と考えていた。普通、チップは価格の15%くらいだ。彼が提供してくれたサービスはフル・カスタマイズのソリューションであり、今回はベースとなる値段がない。リキシャにチップを渡すとすると20〜50ルピーくらいなので、今回もその程度でいいか、アプリで座席表を見てくれただけだし、そんなに期待されても知ったことじゃない、と思い、例の男に50ルピーを渡した。俺としては結構な額だと思ったが、そいつは急に憤慨し出した。あまり喋らない奴だったのだが、駅で商売をするライセンスのようなもを見せてきて、もっと払えと言ってきた。そのライセンスに記載されているデーヴァナーガリー文字は全く読めないが、たぶん彼は言葉の喋れない障害者で、駅構内で旅行客を助けて生活費を稼ぐことを政府に許可されている人のようだ。そういうのならばもっと払ってもよかったのだが、あいにく500ルピー札しか持っていなく、お釣りをくれるはずもないのでそのまま渡すことはできない。ただアプリで検索してくれただけのことに500ルピーは高すぎるので渡したくなかった。彼は鼻をひくひくさせ、かなり怒っている様子で、500くれ、500くれ、としきりにジェスチャーしていた。もしかしたら、もっと、1,000以上欲しかったのかもしれない。俺としては、無料アプリで見れるだけの情報にそんなに価値はないし(まあ使い方を知らなかったのは事実だが)、サービスの値段はサービス提供前に顧客と合意しておくべきだし、彼はインドの障害者で、非常に貧しく、苦しい人生かもしれない、もしかしたら近いうちに亡くなってしまう運命なのかもしれないが、彼の運命は彼が引き受けるべきであって、正当な自由取引の範疇を飛び越えて俺に無心する権利はない。俺は世界全体から見れば恵まれている運命にあるが、俺よりさらに恵まれている人間もいて、俺はそいつに無心したりはしない。俺より恵まれている人が俺におごってくれるのなら、その人は俺に奢ることで経済的・感情的・社会的メリットを享受しようとしていると考える。なので、俺は、聾唖のインド人青年に、俺が払いたいと思う額しか払わない。これで正しいと思う。正しかったと思うが、なんとも後味の悪く、後悔の残る出来事だった。
列車に乗って3時間ほど、ニューデリー駅に帰ってくることができた。途中、一つ手前の駅で間違って一瞬降りてしまったりしたが、寝台車で横になって旅猿インド編の続きを見たりしていたので楽だった。
一度ホテルに戻り、晩ご飯をどこに行くかを決める。メイン・バザールにはおいしいローカル食堂みたいなのはないっぽい(観光客向けに高くてまずい店しかないみたい)。コンノート・プレイスの南インド風ターリー屋か、北インドカレーの有名店の「カリーム」に行きたいと思う。「カリーム」は帰国日に重いバックパック背負っては行きにくい場所だし、北インド風カリーはまだ食べ尽くしてないと思ったので、今日は「カリーム」に行ってみることにする。
Uberでジャマー・マスジッドへ到着。ここは観光名所になっているヒンディー寺院で、店はこの近くにある。これまたいすごいインド的なカオスで、すごい熱気と混雑だ。竹下通りの半分くらいの道幅に人がごった返し、そこを原付きで駆け抜けるアホが2分に1回現れる。色々うろちょろしてみて店を発見。メインの通りから屋内に入ったところにあり、3店舗が構える、香港の重慶マンションみたいな場所にあった。店内も超カオス。地元の人しかいない。チキンのジャパハニというやつと、マトンの同じ物を注文。油分がぎっとりしすぎ、さらに辛すぎて、あんまり美味しいとは思わなかった。フォークがなくて肉がちぎれず、食えない。地元の人は手でちぎって食べていたがそれはしたくない。結局、胃もたれを抱えたまま半分くらい残して退店した。
宿のあるパハール・ガンジまで帰らないといけないのだが、Uberが止まれそうな場所がない。少し離れたところで呼ぼうと思い少し歩いていたら、いきなり暗い裏路地みたいな場所に入ってしまった。小銭がないのでリキシャーにも乗れない(お釣りがないと言って500ルピーとられてしまう)。もう少し歩けばUberを止められそうなところがあるのでは、と思ってずんずん歩いていっていたが、どんどん暗くて治安の悪そうな路地になってしまい、ここで数分も立ち止まってUberの到着を待つことはできないと思い、歩いて帰ることにした。電灯もない原初的な暗黒物質が空気を占める路地にたくさんの人たちが何をするでもなく座っていたり、屋台、人、野犬がうろついている。背後にかなり神経を集中し、早く早く歩く、という感じ、これを書いている今となってはあまり記憶もないくらい、誰にも捕まらないように早く宿にたどり着こうと歩いた。なぜか、外国人の俺に声をかけてくる人も、目を合わせる人もいなかった。ニュー・デリー駅をまたぐ陸橋を渡り終え、パハール・ガンジの鮮やかなネオンが見えた時は心底ほっとした。マジで、結構怖かった。スイスのサンモリッツで、電灯のない暗い林道を1人で歩いた時を思い出した。本能に訴えかける、根源的な恐怖を感じた30分間だった。
宿に着き、ほっとして、シャワーを浴びた。ちょっと風邪気味になっていて、喉が痛い。何かの食事にあたったか、扇風機をつけて寝たからか、単に人が多すぎて風邪になるのを避けがたい国だからなのか。あまりに不安になっていて眠れなさそうだったので、念のためにYou Tubeを見て、精神を正常状態に戻してから眠った。
4日目 デリー → ヴァラナシ 移動
10時ごろ起床。今日はチェックアウトし、ヴァラナシに向かう。12:55の飛行機に乗らなければならない。国内線なので1時間前に空港に着けばいいという考えでいたが、それが甘かった。
チェックアウトを終え、11時前に宿を出た。まず、ニューデリー駅の空港方面路線のメトロ入り口が思った以上に遠く、時間がかかった。メトロに乗っている間、このペースだと結構ギリギリじゃないか? ということに気づいた。11時半ごろに空港に到着、国内線のターミナル1へのシャトルバスに乗らなけれなばならない。バスの係員がまたデタラメをを言ってきたせいでさらに時間をロスしたが、バス内で運賃25ルピーを支払い、国内線ターミナルに到着。この時点でちょうど12時くらい。もう搭乗時間まで1時間を切っている。予約したLCCのスパイス・ジェットのチェックイン・カウンターが大行列で、進まない。自分の番になると、なんとすでにチェックインをクローズしたとのこと。なんだよ。めっちゃ焦る。スタッフに振替便手続きの場所を教えてもらい、一度空港建物の外に出る。軍人が入り口でセキュリティー検査をやっており、退場のために紙に記録をしてもらう。スパイス・ジェットのチケットカウンターで16:25のヴァラナシ行きに振り替えてもらい、なんとか今日中にヴァラナシに行けることになった。乗れなかった方の運賃は返金されるのだろうか。焦っていたので確認していないが、まあ5,000円くらいの金額なので許容するとする。
空港で3時間ほど時間をつぶす。外のキオスクでコーヒーを買い、煙草を吸い、今度は失敗しないように早めに入場&チェックイン。セキュリティーチェックを終え、中でまた一服。インドの空港はライターの機内持ち込み禁止のため、一度捨ててしまっていたが、喫煙室に電気式の発火装置があるので、それ使って煙草を吸った。
今度は無事に、予定どおり飛行機に乗ることができた。スパイス・ジェットのヴァラナシ便の航空機は2x2の小さいプロペラ式ジェットだった。エアコンが暑すぎ、急降下で耳がキーンとなって、次の日の朝起床するまで耳鳴りが取れなかった。
ようやくヴァラナシ到着。18時ちょっと前。ヴァラナシの空港は、飛行機を降りたらタラップもバスもなくて、歩いてアライバルまで行かないといけない。空港の外に出て、また声をかけてくる無数のタクシードライバーを無視してUberを呼び、ヴァラナシのガンガー側中心地であるダシャーシュワメート・ガートまで乗せていってもらう。
ゴウドリヤー交差点で下ろしてもらい、またすごいカオスに放り込まれる。すごい数のインド人、インド人、牛、犬、牛。100メーター歩くのにも苦労するレベル。その間に無数の怪しいインド人が日本語で話しかけてくる。サンタナホテル行く? ルドラハウス行く? 私日本人騙そうとしてないよ? 日本人ヴァラナシで騙されるから案内したいね? 私ガイドじゃないよ、あとでお金もらおうとしないよ? 私お土産やさんやってるね、だから案内するから明日うちの店来て欲しいな? ギブアンドテイクね? そんな無視されたら私たちどうやって生きていけばいい? じゃあ自分で行けばいいよ、きっとボられるから。こういった戯言を一方的に言ってくる無数の怪しいインド人。ちなみにこの間、俺はずっと無視して歩き続けている。同じようなこと言ってきた奴が数人いたから、日本人から金をせびるためのノウハウが出回っているのだろう。思うに、ヴァラナシは、デリーとコルカタといういインドの玄関のちょうど中間にあり、多くの旅行者は前の都市で騙され、警戒心が強まり、ヴァラナシでは簡単に騙されないように用心しているから、こういった手の込んだ手法が発達したのだろう。
歩いていたら、旅猿でも放映されたメイン・ガートが見えてきた。プジャーの祭りをやっている。いきなりガンジス川が見えて感動した。ここはチラ見して、まずは宿に向かう。たぶんベンガリー・トラと呼ばれる細道を宿の方向に延々と歩いていく。左側に曲がらないといけないはずだが、まったくどうやって行けばいいかわからない。しばらくして色々なゲストハウスの看板が出ている地区にいきあたり、予約していた宿「パレス・オン・ステップス」 の看板も見えた。ようやく宿に到着。また怪しい連中がいて、たぶん俺にツアー組ませたりガイドしようとしたりしたいのだろう。日本語がペラペラしゃべれる極めて怪しい青年にホテル内を案内してもらい、ようやく部屋についてゆっくりすることが出来た。夜も遅くなったので、ホテルのルーフトップのレストランでチョウメンを食べた。もうカレーはいいや状態になっているので。
3日分の洗濯をして就寝。熱はないが、喉はまだ痛い。
5日目 ヴァラナシ街歩き
10時ごろ起床。昨日ホテルを案内してくれた怪しいインド人青年との約束はすっぽかした。昨日の夜の洗濯物はまったく乾いていない。雨が降っている。これは観光はできそうにないな。ちょうど旅も5日目で、疲れも溜まってきたので今日は部屋でだらだらしようと思う。そう、旅にも休日が必要なのだ。なぜだか。
午前中はずっとだらだらして、ホテルのレストランで昼飯を食った。コーヒー2杯と、チキン・フライドライス。
部屋に戻って数日分の日記を書いている。意外と日記を書く時間がない。というか部屋のWi-Fiが機能していない。しょっちゅう停電が起きている。この辺のゲストハウスでは最上級と思われる俺の部屋のテラスに、勝手にインド人の従業員が入ってきて、なんか喋っている。カオスすぎるだろ。ガンガー・ビューのホテルなので、部屋の中にいても退屈しない。冬の波立つガンジス川、行き交う船、川の上を舞う鳥を見ているだけで時間が経っていく。
天気が落ち着いてきて、出歩く人も増えてきているので、俺も散歩してみようという気になった。ガンガー沿いの部屋のおかげでこういうのがわかってよかった。今時間は16時くらい。
ダシャーシュワメート・ガートのほうに出て、またパレス・オン・ステップスの方角に戻るようにガンガー沿いを歩いていく。ひとまず目的もなしに。聞いていた通り、日本語、英語で話しかけてくる怪しいインド人多数。そのうち、かなり流暢な日本語で話しかけてきた青年、最初は無視していたが、あまりにも綺麗な日本語を喋るのでつい返答してしまった。まあこっちも百戦錬磨とはいかないがそれなりに貧乏旅行の経験はあり、従ってどのみちこいつから何か物を買うことはないだろう。案の定、日本に彼女がいるとか、典型的な詐欺師の語り口である。なんのビジネスをしている?と聞くと、土産物屋をやっている、でも基本的になんでも売ってるよ、とのこと。じゃあハシシもあるのか?と聞くと、チョコのこと?うちにはないけど友達が売ってるから紹介するよ、と言ってきた。この何気ないやりとりが、のちにこの街に関する重要な疑念を俺に抱かせる。
彼は押し売りする風でもなく、会話も面倒くさくない感じのコミュ力の奴だったので話に付き合いつつ歩いて行ったら、火葬場についた。ここはハリシュチャンドラ・ガートと呼ばれる、ヴァラナシにふたつある火葬場の小さめの方だ。有名な方の火葬場であるマニカルニカー・ガートはあとで行くとして、まずはこっちを見学してみる。火柱がふたつ、立ち上っている。遺灰が集められ、ガンガーに流されていく。例の青年がちょこちょこ話しかけてくるので落ち着いて見れない。だんだんこっちも無視をするようになっていく。もういいか。俺は何も買わないから他のカスタマーを見つけろ、と言ってその青年に別れを告げようと思ったら、彼はそのことを見越してか、すでにいなくなっていた。
ガンガー沿いを戻って歩いていたら、ダシャーシュワメート・ガートのあたりでヒンドゥー教の儀式であるプジャーが行われていた。スピーカーで大音量で祈りが流れていてうるさい。見学者もそんなに多くはない。と思ったらこちらはサブの会場で、隣に大きな方の会場があり、そちらには大勢の観光客が陣取っていた。祭りの方は、正直ストーリーもよく分からないしはっきり言って特に感慨深い思いは湧かなかった。まあ、俺は日本の祭りですら興味ないからな。
そのまま川下のほうにガンガー沿いを歩いていく。何人かの押し売りインド人たちにまた声をかけられるのだが、ふと、例の青年と会話して以降、誰もが俺にハシシを売ろうとしてきていることに気づく。もしかして、この町の詐欺師はグループになっているか、またはカモの情報をやりとりする何らかのネットワークがあるんじゃないか? それに気づいたら、すごく気味悪く感じてきた。
ある客引きは、俺は何も買わないから別の客を見つけろというと、じゃあ100ドルのバクシーシをくれ、それだったら客じゃないだろ?と言ってきた。頭がまわるなと一瞬思ったのだが、どちらかというと何十年も同じことを繰り返しているからパターンが蓄積されているだけのことだろう。まあ、そういう意味でもベテランに素人が勝負を挑むのは得策ではない。やっぱり無視をするのが一番だな。
歩いていると、大きい方の火葬場、マニカルニカー・ガートに出た。ここは薪代を請求する詐欺師が多いと有名だが、俺はとくに何も言われなかった。あとで調べると、ここはファミリー・プレイスだからあっちにいけ、もっと近くで見ていいよ、と言われたのが、詐欺のフックだったみたいだが、普通に無視していて気付かなかった。
火葬場はかなり衝撃的。5〜10くらいの火葬が行われており、すすまみれになった葬儀役のカーストの働き手、我関せず居座る牛たち、うろつく野犬、主にインド人の観光客が、日が落ちて暗くなったガンガーとボートに積まれた漆黒の薪、薄暗く立ち昇る炎を囲んでいる。鼻をつんと衝く、すえた臭い、死の匂いがする。死者に餞るオレンジの花を食い散らかす野犬たち。死者を弔う場で本能に従って交尾する野犬たち。のっそりと進入してきて火葬場の隣に座り込む牛たち。
いつまで見ていようか、と思いつつぼーっと見続けていたら、俺の隣に新たな火葬場が急遽拵えられ、邪魔だから退け、と言われたので立ち去ることにした。結局、自分の意思で立ち去ったのではないが、これもヒンドゥー教のストーリーの一部なのだろう、と感じた。
さらに川上のほうに歩いていく。傾いた寺院や、何の用途かわからない枯れた貯水場を通り過ぎ、脇道に入ってダシャーシュワメートの方角を目指すことにする。この街の構造はベネチアと似ている。Googleマップにも載っていない小さな路地が入り組んでいて、適当に歩いているとすぐに迷子になる。人通りもなく、電灯もない路地を歩いていると不安になり、体の四方八方に神経を集中させる。たまにマップも見ながら30分ほど歩いていたら、また火葬場のあるマニカルニカー・ガートに戻ってきてしまった。火葬場の真ん中を通り抜ければもとの場所に戻れる。ダシャーシュワメートへの道すがら、火葬場に関する心理的反応としか呼べないものを落ち着かせるために、階段に座って煙草を吸った。物乞いが煙草をくれと寄ってきたが、無視しているとどこかに消えていった。
ベンガリー・トラやヴィシュワナート・ロードを散歩してみようかとも思ったが、疲れたので宿にもどることにする。金曜日なためか、町の明かりが消えて、パレス・オン・ステップスへの道が分からなくなってしまった。途中の売店で水を2本買う。そのうち1本は蓋が開いていることに気づいたので、店主に言って変えてもらった。宿への道がよくわからないのでいったんガンガー沿いに戻り、階段で上がっていくことにした。ちょうど、パレス・オン・ステップスにつながる階段であり、俺の泊まっている棟のわきにつながる階段だったようだ。
部屋に戻ると作業をしているスタッフが近くにいて、俺が声をかけるとミネラルウォーターのボトルを無料で2本くれた。なんだ、これなら途中で買わなくてよかったな。
またレストランに行き、ビールとフライドポテト、ピザというインドらしからぬ飯を食いながら、妻とLINEで電話した。今日あったことや、この町のネットワークに関する疑義を話している時、たぶんこのレストランにも本当は日本語がわかるスタッフがいるだろう、とわざと聞こえるような声量で言ったら、シーンとなったので本当にいるんだろうな。
食事も終え、9時くらいに部屋に戻ってきた。5時間くらいしか活動していないが、いろいろな面で十分ヴァラナシのことが分かった。正直、もうほぼ満足だな。どうせガンガー沿いにいてもインチキ野郎どもに話しかけられてゆっくりできないだろうし。どうせなら、インド人をむしろ騙してぼったくってやろうという気持ちを持って、話しかけてくるやつに「俺と話したかったら500ルピー払え」とか言ってみようかな。
6日目 ヴァラナシ 何もしない日
10時ごろに目が覚めた。今日も午前中はゆっくりしつつ、観光よりも評判の高いレストランに行ってみようと思う。
午前中はコーヒーを飲みつつ、洗濯をした。その間にも行きたい店を色々と調べて、ドルフィンレストラン、Jyoti Cafe、ケシャリあたりに行ってみつつ、適当にぶらぶらする感じでいいかな、と思えてきた。
14時ごろ宿を出発。部屋のクリーニングを頼んだ。見晴らしのいいドルフィン・レストランへ歩いて行き、バナナラッシーとパニール・バターマサラというものを注文。デリーのカレーのように脂っこくなくて食べやすくて、おいしかった。バナナラッシーも、輪切りのバナナと半分くらいの丸ごとバナナが入っていて、味もおいしい。やっぱ地元のローカル食堂みたいなところに入るよりも観光客向けに評判のいいレストランの方が満足度が高い。
マンマンディル・ガートのあたりで座ってガンガーを眺めていた。このあたりは怪しい客引きが来なくて過ごしやすい。やることがなくてあまりにも暇だ。一回部屋に戻って充電し、また外出。今度はダシャーシュワメート通りのあたりに行く。人が多すぎて、クラクションうるさすぎてWi-Fiがつながりにくい。飽きて部屋に戻る。
7日目 ヴァラナシ 街歩き
今日も10時過ぎに起きて、昼までダラダラ。さすがにもうやることもない。ほんと、ヴァラナシは外を出歩くのが億劫なんだよな。一人でいると誰かが話しかけてきて、ちょっと通りに出ると人混みとクラクションで通常の10倍くらい疲れる。何日もいるようなところじゃなかったな。部屋でのんびりガンガーを眺めている方が楽で、快適だ。それでもバルコニーに勝手にホテルのスタッフが入ってきたりしてしまうが。
14時ごろに外出。またベンガリー・トラの喧騒をくぐり抜けて、今日は南インドターリー屋の「ケシャリ」へ。エアコン付きの店内で、ターリーを注文する。280ルピー。ベジ・カリーのヴァラナシの有名店で、6種類のカレーソース?とロティ4枚、ライス、味付きチャパティ2枚がついてくる定食。かなりうまかったのだが、ヨーグルト以外のソースは日本で言うカレーには見えず、しかし全て何かしらスパイシーな味がする。カレーという概念が分からなくなった。
その後、川下の方のガートの階段で1時間ほど座ってガンガーを眺める。機能も暇をつぶしたこの場所は、何故だかうるさい客引きが来ないので、ゆっくりできた。音楽を聴きながらガンガーの流れるところ、観光ボートが行き交うところを眺める。ちょっとボート乗ってみようかな、と思ったが、観光客ひとりで乗っているボートはあまり見かけないし、どうせ一瞬で飽きるし、対岸からの眺めにも興味ないし、ということでただここから眺めるだけにしておいた。
もう一度上流の方に歩いていって、一昨日見たハリシュチャンドラ・ガートの火葬場を見に行った。この間は客引きに絡まれながらの見物だったので、今日はひとりでゆっくり見たかった。マニカルニカー・ガートより観光客が少なく、ゆったりしている。牛も窮屈そうじゃない。
8時半くらいまで暇を潰し、近所のJyoti Cafeに晩飯を食いにいく。店内にはスペイン人かもしくはイスラエル人と思われる(ような言語を話す)バックパッカーがいた。チキンカレーとチャパティ二つをオーダー。チキンカレーは独特の味で、これもかなりうまかった。帰国を見据え、余っているルピーを使い切りたいので、140ルピーのところを60ルピーをチップとして上乗せし、200ルピーをを渡し、おいしかったよと伝えて店を出る。
ヴァラナシにいた4日間はずっと曇りだった。明日も曇りの予報だが、ヴァラナシのサンライズを見たいし、7時半には宿をチェックアウトしたいので、6時起きで頑張ることにする。
8日目 帰国日 ヴァラナシ → デリー → 東京
霧の予報だったが、日の出のガンガーを万に一つでも見るために念のため6時に起きてみた。滞在4日間中で一番ひどい霧だった。勝手にスタッフが入ってくるバルコニーでコーヒーを飲みながら最後のガンガーを眺めた。サンライズは当然見えない。気温は10度を下回っているが、沐浴をしているおじいさんがいた。
宿をチェックアウトし、Uberで空港まで行くというと、宿のスタッフがUberが止まりやすい場所を教えてくれ、そこまで連れていってくれた。チャイ屋があって待ち時間を潰すことができ、交通渋滞もないが大通り沿いであり、確かにいい場所だった。三人のドライバーにキャンセルされつつも、なんとか車を拾い、9時前にバラナシ空港に到着。
デリー行き10:50の便は遅延し、結局は11:50になった。バラナシの空港は出発ゲートの表示がなく、遅延だらけでころころ変わるため危なっかしい。
14時半ごろ、デリーの国内線ターミナルに移動。メトロ始発駅のある国際線ターミナルまでシャトルバスで移動することを考えると、この日行こうと思っていたニューデリーのビリヤニは難しそうだ。大人しく、空港内で時間を潰すことにする。思いがけずプレミアム・エコノミーにアップグレードされたので嬉しい。調べるとラウンジが使えるようだ。まだチェックインが開始されていないので待機しつつ、売店で冷凍食品のビリヤニを食べる。これだけでも普通にうまいよ。
16時半ごろ、JALのチェックインを行う。プレミアム・エコノミーはアップグレードではなく、気づかずに最初からそれでチケットを取っていたみたいだった。ラウンジの招待状をゲット。出国手続きをつつがなくおえ、煙草を吸ってから、さっそくラウンジへ。キングフィッシャーのビール2杯、赤ワインを飲んだ。3日ぶりのアルコールだったので3杯でベロベロに。
帰りの便はJAL。インドの標準から考えれば過剰サービスだ。それまでのインドの日常との違いに頭がくらくらしてしまう。プレミアム・エコノミーの座席は広く、ビジネス並みの個人スペースがある。機内食、ビール、白ワインをゲット。ぐっすり熟睡して成田に到着し、インド一人旅を終えた。
【中東一人旅 2012】⑤ギリシャ・トルコ編(2012年9月10日~9月27日)
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