裸になって何も悪くない

時は2009年。草木も眠り、冥王星がひっそりと逆行を始める4月某日の真夜中。

芸能界が誇るトリックスター・草彅剛は、都会の緑地というオーウェル的ダブルスピーク*1をおのれのケツで踏みにじりながら、心して進言した。

曰く、「裸になって何が悪い」。

決して見逃してはならないクリティカルな指摘だ。確かに、裸になっても何も悪くない。

裸が悪いなら野良犬はすべて逮捕するか?アフリカの未開の部族は箱詰めにして船に乗せるか?

そうやって奴隷貿易は正当化されたんだろう。

アフリカの裸族は裸でいることを下品だとも恥ずかしいともエロいとも感じない。むしろ、服を着ていることこそエロいのだ。

そこには、人間の想像力が孕む根源的な猥褻性が立ち現れている。

この星では裸でいることが本来自然であって、服を着ることの方が第三惑星45億年の歴史において例外的に異常な現象にすぎないのだ。

ネクタイが無事に仕事が終わった時に緩めるためのものである*2のとまったく同じように、服は脱がせるためにある。

服はセックスを呼び込む五人囃子であると同時に、セックスに同意する合意署名でもある。

コリン・ウィルソン*3が言うように、人間の想像力は近代文学の発展によって決定的にスケベの方角へ舵を切った。

シャルル・ペギー的猛加速*4を続ける歴史のギアをバックに入れるにはもう手遅れだ。

服を着る習慣はいわば前戯であって、文化とは壮大な前戯なのだ。

だから、裸になって何も悪くない。

それこそは純潔の証明、草彅くんのこの文化的テロは、指原莉乃*5より3年も早くアイドルとしての職業倫理をデモンストレーションしてみせたまでにすぎないのだ。

 

*1:ジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949年)において描かれた、全体主義政府が人民統制のために用いた手法。実体と矛盾した表現によって、国民は政府が提供するこの種の語を使用するたび自動的に自己洗脳にかけられる。例えばこの政府における「平和省」は実際には戦争遂行を担当し、「愛情省」は拷問と尋問を担当する、など。現代の現実においても「構造改革」「選択と集中」「グローバル化」「喫緊の課題」などのダブルスピークにより、人々が日常的に洗脳されていることは広く知られている。

*2:小山宙哉宇宙兄弟』12巻において、無政府主義的パラシュート・エンジニア、ピコ・ノートンが厳かに述べた。

*3:コリン・ウィルソン『性のアウトサイダー』(1989年)。マルキ・ド・サドT.E.ロレンス三島由紀夫をまな板に乗せながら。

*4:1873年生まれのフランスの思想家シャルル・ペギーは、物事の発展が幾何級数的に急加速していく進化のありようを指摘した。曰く、「世界はこの三十年間でイエスの死からそれまでよりも大きく変わった」。あるプロセスの発展が次のプロセスの発展に影響を与え、どんどんスピードを上げながら同様に連鎖していき、発展のプロセスそのものが発展していくようになる。見慣れた人口グラフの急カーブ、芸術の批評の批評の批評、進化の果てに進化の仕組みを理解したホモ・サピエンスなどの例。

*5:おのれの腕一本を頼りにアイドル戦国時代をペギー的猛スピードで駆け上がった2012年第4回選抜総選挙の直後、芸能ハイエナたるゴシップ誌により恋愛スキャンダルを暴かれ失脚(1年後の見事な復活劇は記憶に新しい)。「エッチだってしたのにふざけんなよ」との言は現代アイドルのポストモダニズムをポップに表現した一方、草彅くんの古き良き純潔精神を鮮やかに際立たせてもいる。