ベガスでロシア人を撃つな

【中東一人旅 2012】④ヨルダン・イスラエル編(2012年8月29日~9月9日)

 

27日目 ワディ・ムーサ(2012年8月29日)

昨日のことがあまりに疲れて、昼過ぎに起きたのでやることがなく、街を散策することにした。
ワディ・ムーサは楽しい街で、パノラマはとても美しい。昨日の夜はその夜景の美しさに息をのんだ。
 
ぶらぶら歩き回って、町の全景とか、学校の校庭とか、いたるところを歩き回ってカメラに収める。
 
夕食の会場で早稲田の2人組、IT企業の人と会い、酒を一緒に飲む。
彼ら三人はワディー・ラムと言う砂漠に行くらしく、明日ここを出るとのこと。
 
アンマンの「香田ホテル」での再会を約束する。
 

28日目 ワディ・ムーサ(2012年8月30日)

今日はついにペトラ遺跡に行く。インディ・ジョーンズの舞台になった場所で、今回の中東旅行の中で行きたかった場所トップ3に入る(他はエルサレムイスタンブール)。
 
泊まっているゲストハウスから15分ほど歩き、遺跡のチケット売り場に到着。1日券、2日券、3日券があったが、さすがに1日券を選ぶ。3日券は4日目フリー入場券がついているとのこと。誰が4日も連続でペトラ遺跡に行くのか?
 
ペトラはとてもスケールの大きな遺跡で、1つの町全体が遺跡となっているような感じ。
 
入り口から赤茶けたうねる壁の隙間をぬって30分ほど歩くと、有名なインディ・ジョーンズの寺院に到着。その正面のカフェのような広場で一休みする。
 
観光用のラクダ乗りが頻繁に声をかけてきてうっとうしい。ちなみにこのラクダは、乗るときは1ドルだが降りる時に10ドルを要求されるとか聞いた。中東にしてはマシな詐欺だと思う。
 
その後は遺跡の色々なところをぶらぶらしてみる。赤茶けた岩の塊をぐんぐん登っていったり、ほぼろクライミングのようなことをしてみたり。日本から履いてきたゴム草履が意外と丈夫で、それほど足は傷まない。ひたすら進んでいると意外なところから巨大なモニュメントが現れたりして、歩いていて飽きない。遺跡中に猫が闊歩していて、中東の猫らしくとても人懐っこい。
 
遺跡の奥まで進んでみる。インディ・ジョーンズのあたりでラクダに乗ってた人がもう戻ってきている。歩くととても遠い。ゴム草履でほぼ登山のような活動をしている。奥地の山をトレッキングして登っていくと、「世界の終り」と称された場所があった。
 
その崖下の風景には思わず息をのんだ。ぐるりと囲む小さなカルデラのような場所から下を見ると、底が見えないほど奥深くまで崖が続いている。なるほど、旧ペトラ国では、確かにその場所が世界の終わりだったんだろう。写真を撮ったがこの「世界の終わり」感がうまく表現できない。
 
合計10キロ以上はゴム草履で歩きまわり、くたくたになった。ゲストハウスへの帰りがけ、売店を商う家族に話しかけられて会話をする。なぜヨルダン人は僕の持っている百均で購入したコンパスを欲しがるのだろうか。
 

29日目 ワディ・ムーサ→アンマン(2012年8月31日)

早朝に起きてワディ・ムーサのゲストハウスをチェックアウトし、首都アンマンへ向かう。アンマンというと中東の紛争関連のニュースで、ジャーナリストが拠点にしているイメージがある。ということは多分治安もいいんだろう。
 
バスに乗り、3時間くらいで到着。これまた結構な高所にある町だ。バスターミナルから谷間の町を見渡せる。ダウンタウン行きのバスを探していたところ、親切なおじさんの助けで格安セルビスを見つけることが出来た。
 
ダウンタウンに到着し、バスを降りて香田ホテルを探すが見つからない。そこら中の人に声をかけてみるが、例によってヨルダン人はでたらめばかりで全く手がかりがない。ただ、おかげでダウンタウンを一通り歩くことができた。アンマンはかなり混雑した町で、東京のように歩道の狭い大通りをたくさんの人が行き交い、歩道脇に店舗が軒を連ねている。感覚的には香港やバンコクの下町に近い感じ。街歩きは楽しいのだが、いくら歩きまわっても香田ホテルが見つからないので、諦めて、タクシーを捕まえて初乗り料金で連れて行ってもらった。
 
香田ホテルに到着。ここは、名前の通り、2004年のイラク日本人殺害事件で殺された香田証生がテロリストに捕まるまで拠点としていたホテルで、日本人バックパッカーにはとても有名な宿だ。正式にはマンスール・ホテルという名前。多少汚いことをのぞけば普通の安宿といった感じで、日本人以外も多く泊まっている。
 
ベッドを確保して荷物を南京錠で繋ぎ、ひとまず散歩をする。香田ホテルを見つけるまでにダウンタウンは一通り歩いてみたので、高台の方を散策してみる。イヤホンでPerfumeを聞きながら歩いていると、道路の反対側の家の窓からニカブ姿の女性が手を降っている。というか手招きしている。暇だったので家に行っても良かったのだが、なんとなく面倒で、ことらも手を振り返してバイバイする。
 
香田ホテルに戻り、ワディ・ムーサで別れたモモ、シュウ、ITの3人組と合流。宿にいた他の4人と一緒に、日本語ができるスタッフの方にご飯を連れて行ってもらった。イラク料理だった。たらふく食ってたったの1.5ジョルダンディナール。めちゃくちゃ安い。
 
その後、なぜかウイイレができる店があると言うので、みんなでウイイレ大会 in アンマンを開催。元芸人の山本さん、めちゃくちゃ面白かった。ヨルダン人の人と対戦し、彼らはヨルダン代表、俺はイスラエル代表を選択。こちらがボロ勝ちしたら、かなり微妙な空気になっていた。たぶんヨルダンvsイスラエルは日韓戦みたいなものだろう。
 
香田ホテルに戻って、ギリシャ地球の歩き方のPDFをもらおうとしたが、回線が遅くて無理だった。まあなくても旅は出来る。
 

30日目 アンマン→エルサレム(2012年9月1日)

旅をはじめて1ヶ月がたった。香田ホテルをチェックアウトし、最も行きたかったイスラエルへ本格入国する。早大生2人組のモモ、シュウと一緒に国境を越えることにした。
 
ヨルダン側の国境のキング・フセイン橋の入国審査は、物足りないほどスムーズだった。聞かれたことも、エイラットのイミグレとほぼ変わりなし。エイラットでは3人に代わる代わる質問されたが、キング・フセイン橋では1人だけだったため、むしろ簡単だった。質問も同じで、「ウェストバンクに行く予定はあるか」と聞かれる。前回の反省を生かして No, ときっぱり言うと、すぐにパスしてくれた。最後も笑顔でパスポートを渡してくれたりと、地球の歩き方やネットの体験談とは違って全く不快ではなく、むしろ好印象だった。
 
国境からエルサレム旧市街までの道、世界の始まりのような真っ白の荒野をセルビスで進んでいく。
エルサレムのダマスカス門の前でセルビスを降りる。ヤギの背中に乗ってエルサレムに入城するイエスの幻影は見えない。
露天でミネラルウォーターを買う。現地企業が作っているものなのか、他の中東諸国で見るペットボトルとは違う、アニメキャラクター?みたいなラベルの水。飲み口も工夫されていて、他の国とは違った印象を受ける。
 
セルビスを乗り換えて、バックパッカーの間で有名なイブラヒムじいさんの家に行く。エルサレムのセルビスは、公共の路線バスと全く同じルートを、若干安い価格で(おそらくは民間人が無許可で)走るマイクロバスだ。
 
イブラヒム・ハウスに到着。ここは、イブラヒムというじいさんが運営する、というか住んでいるただの家であり、ゲストハウスではない。宿泊料もない。ただし、じいさんの個人的な活動を支援する寄付金を払わないといけないらしい(500シェケル=約1,000円)。
 
僕らが着くなり、じいさんは僕らをハグし、Eat, eat と何度も繰り返し、たらふく飯を食わされた。じいさんはおしゃべり好きで、ボケてもおり、何度も同じ話をする。クウェート出兵のときに食べたご飯の話を何度も聞かされた。
 
ベッドを確保して、イブラヒム・ハウスの中を色々探索してみる。屋上からの市内の眺めが素晴らしい。聖書に出てくるオリーブ山の遥か向こうの砂漠まで見渡せる。屋上の安楽椅子に座っているアメリカ人のおじさんに話しかけられ、聖書のメタファーについての話しを一方的に聞かされる。単語が難しすぎて話の内容がほぼわからず、適当に相槌を打っているだけだったが、向こうも誰でもいいから喋りたかっただけだろう。
 
夕飯を食べたあと、日本人宿泊者の数人で集まっておしゃべりをする。会社を辞めて世界一周中のノゾミさんが、僕たちにエルサレムユダヤの歴史を教えてくれた(penのユダヤ教特集を読みながら)。イブラヒム・ハウスには僕より中東の歴史と文化に詳しい人間はイブラヒムじいさんしかいないことが分かった。
 

31日目 エルサレム(2012年9月2日)

朝起きて、昨日買ってたヨーグルトを食べる。共用冷蔵庫なので自分の名前を書いておいた。外に出て煙草を吸いながらぶらぶらする。近くに幼稚園?小学校?があり、子どもたちが道端でサッカーをしている。イブラヒム・ハウスの近くは猫がいっぱいいて、中東の猫らしく、いつも通りとても人懐っこい。
 
昼前にイブラヒム・ハウスのみんなと昼食をとった後、モモ、シュウ、ノゾミさん、ユカさんと5人でエルサレム旧市街へ行くことにした。めちゃくちゃ行きたかった場所だ、今回の旅のハイライトになるだろう。
 
宿にいたフランス人にバスを使わない帰り方を教えてもらうため、徒歩で向かう。オリーブの丘をひたすら登っていく。途中、ユダヤ式の墓地があった。真っ白くて四角い棺が、真っ白な地面の広大な空間にぎちぎちに並んでいて、パノラマで眺めると遠くの方が霞むほど。棺に刻まれたヘブライ語が幾分厳かに見えた。
 
ダマスカス門に到着。「エルサレム旧市街」は城壁に囲まれたエリアで、岩のドーム嘆きの壁聖墳墓教会ゴルゴタの丘)といった三大宗教の聖地がぎゅうぎゅう詰めになっている、一神教というマグマの噴出口のような場所、あるいは三大宗教の始発駅であり終着駅でもある場所だ。もともと、今回の中東旅行に行こうと思ったきっかけがエルサレムだった。地球人口と近代史の大部分の性格を形作ってきた3宗教を生んだ地に足を運ぶことで、それらを生み出したエンジンのようなもの、もしくはある種の魔術のような空気に浸れるのではと(暇すぎて)思っていたのである。
 
旧市街の内部に入って、まずはイエスが最後の晩餐をやった場所に向かう。旧市街はそれ自体がショッピングモールのようになっていて、観光客向けのTシャツ("Don't worry america, Israel behind you"のTシャツとか、海外でも見かけるようなやつ)を売っている店とかがいっぱいある。急に中東っぽくなってきた。
 
最後の晩餐の部屋に行った後、嘆きの壁に行く。ここに近づくには白いユダヤ式の帽子(キッパー帽というらしい)をかぶる必要があり、係の人が配っていたので受け取る。ちなみにこのキッパー帽は静岡の企業が作っているらしい。真剣に祈りを捧げている人や、何かが書かれたペーパーを壁にねじ込む人で混み合っている。
 
次は岩のドームへ。ここはムスリムではないので入場ができなかった。仕方ないので、青空の下で金色に輝くドームの前でみんなで写真を取った。どのへんが「岩」なのかは分からない。
 
次にいこうと思ったダビデの道は入場料の必要な博物館で、それほど面白くはない。というか面白がるだけの教養がない。ヤコブ聖堂をまわって、聖墳墓教会へ行く。ここはすごかった。入場するとまず目に入るのは巨大な壁画と、その前にひざまずいて祈る人々。日本人の僕の目からは、かなりしっかりひざまずいて祈っている。カトリックの教会のはずだが、ムスリムのサラーとのお祈りのようにしっかりしている。お祈りしている人の中にはアジア系の人もたくさんいた。地下2階の教会もとても良い。
 
夕飯はイブラヒムじいさんの Eat, eat, のポリシーにより、味のないピラフを腹が突き破られんばかりに食わされる。びっくりするくらい味がなくて、塩とかソースとか手当り次第にかけてみた。肥沃なイメージのない中東で食えないくらい食わされるとは思わなかった。
 

32日目 エルサレム(2012年9月3日)

今日はユダヤ教会の総本山、グレート・シナゴーグへ行く。
 
イブラヒムじいさんの家から歩いて向かう。エルサレム新市街の方向だ。旧市街のアラブっぽさとうってかわり、ヨーロッパ風のきれいな町並みが続く並木通りを歩いていく。
 
グレート・シナゴーグアンコールワットの「王の居室」に似た厳かさで、司教座から一望する教会内の景色は素晴らしい。来客は僕らだけだったが、自然と言葉を失うような空間だった。
 
その後、近くの市場に行き、見て回る。カラフルな果実を並べた屋台が続き、写真を撮るのが楽しかった。カラフルな飴を買い、屋台でジェラートを食べて休憩。
 
トラムに乗り、次は郊外のホロコースト博物館に行く。早めに回っても2時間はかかるほどのボリューム。教養が足りないのであまりコメントできることはない。展示ルートの最後の、ホール・オブ・ネームズと名付けられた部屋は印象的だった。
 

33日目 エルサレム(2012年9月4日)

 
エレサレムからバスで30分ほどで、観光客もいくことができるが、パスポートを持っていかないといけない。簡単な入境手続きのようなものがある。バスには中学校くらいの生徒がたくさん乗っており、パレスチナ自治区からイスラエル領のエルサレムまで通学している子がいるのかと驚く。
 
ベツレヘムでは生誕協会、ミルク聖堂を見た。移動の途中、10数人くらいのデモ隊が通りかかった。それほど危険な感じではない。
 
ベツレヘムは特段なにもなく、またアラブに戻ってきたか、と言う感じ。
 

34日目 エルサレム(2012年9月5日)

モモ、シュウと3人で死海へ行く。延々と砂漠を走り、唯一のパブリックビーチの近くでバスを降りる。
 
砂浜の丘を下って海の方に行くと、結構な人数が海に浮いている。向かいの岸の方にヨルダンが見える。僕も入ってみると、想像した以上にぷかぷか浮いて面白い。このまま浮いたままヨルダンに入国できそうだ。塩分濃度が高すぎて、こっとした傷がめちゃくちゃしみる。
 
休憩所のようなところでハイネケンを飲んで休憩し、エルサレムへ帰還する。しかし複数で行動するとハプニングに巻き込まれることが少なくなるな。
 

35日目 エルサレム→テルアビブ(2012年9月6日)

イブラヒム・ハウスで最後の朝食(いつものベチャッとした味なしピラフ)をとり、昼過ぎに後にした。この家には5泊した。寄付名目の宿代も安く、飯も洗濯も無料で、イスラエルでは考えられないほど安く滞在できた。イブラヒムじいさんもたまにいきなり怒鳴り散らすものの、近所の人たちからも愛されていることが分かった。そして風変わりなおじさんだった。
誰かがアレンジしてくれたハイヤーを待つ間、長期滞在者のアーネストからまたカトリックギリシャ神話の話しを聞かされた。
 
モモ、シュウ、ノゾミさん、ユカさんと日本人5人でテルアビブへ移動する。エルサレムから高速で2時間くらい走り、テルアビブ市内へ到着。中東風の文化のエルサレムとはうってかわってヨーロッパ風の町並みだ。ハイヤーのドライバーが勧めてくれたゲストハウスにチェックインし、近所のスーパーでカップラーメンを買って昼食。その後、みんなでビーチへ行く。
 
テルアビブのビーチは繁華街のすぐ近く、高層ビジネスビルが立ち並ぶところにある。ビジネス街を水着姿の人々が悲痛に歩いている。みんなでビールを飲み、海にダイブし、水平線に落ちる夕日を眺める。とても素敵だった。
 
こじゃれたレストランでディナーをとった後、ゲストハウスにいたノルウェー人の男も一緒にとみんなでクラブへ行った。9時くらいだったが、繁華街を歩いても治安の悪い感じがまったくしない。外国で夜に出歩いて安全な感じがするのははじめてだ。クラブは入り口でIDチェックが会ったものの、フロア禁煙でさすが治安の良い町と言う感じ。
 
踊りまくってタクシーで帰宅。くたくたになって、すぐにベッドで横になった。
 

36日目 テルアビブ⇄ハイファ(2012年9月7日)

ハイファのバハーイー庭園を見にいくために8時起きでハ・シャローム駅へ向かう。いつもの5人。
バハーイー庭園は、イランで生まれた密教バハーイー教の総本山で、ハイファのカルメル山という丘の上にある。アンマンの香田ホテルで地球の歩き方をパラパラめくっていたときに見つけて、美しさと厳しさが素晴らしいと思い、行ってみたいと思っていた。
 
ハ・シャローム駅についたら、構内に入る前に手荷物と全身のX線検査が。エルサレムのデパートでも同様の検査があり、イスラエルは徹底的にセキュリティにこだわる国だなという印象。こっちは旅人だからいいけど、地元の人たちは毎回毎回めんどうくさくないのだろうか。構内でコーヒー味のシャーベットジュースを飲み、電車に乗って1時間ほどでハイファへ到着。
 
ハイファは海に面しており、市内の奥の方に丘陵地帯がそびえ立ち、その麓に小ぎれいな街並みが広がる美しい都市という印象。肝心のバハーイー庭園のツアーには間に合わず、ひとまず市内中心でバスを降り、散策しながら歩きでカルメル山を目指すことにした。
 
とても洗練された街並みを歩くだけで楽しい。ヘブライ語の看板が日本語のカタカナにどことなく似ていて面白く、スマホで写真を取りまくる。
 
カルメル山の中腹を通るストリートをどんどん歩いて登っていき、高台から市街地とその奥にあるビーチを見下ろすパノラマを見た後、庭園上部の入り口に到着。いきなり眼下に広がる庭の風景はなんともいえず素晴らしかった。内部に入ることは出来なかったが、庭園の前でみんなで写真を取る。
 
その後、やることもないのでタクシーでビーチへ行き、みんなでダラダラ。ビーチサイドのレストランで昼食をとり、ワインを飲んでゆっくりする。
 
テルアビブへ帰った後は、宿にいた日本人3人組も合流して、日が暮れても治安の良いロスチャイルド・ストリートを歩いてまたビーチへ。焚き火を囲みながら酒を飲む。モモ、ユウちゃんと3人で映画や音楽の話で盛り上がる。
 

37日目 テルアビブ(2012年9月8日)

今日はテルアビブ最終日。夜の飛行機に行くまでは暇な一日。
めずらしく午前中に起きて、ノゾミさん、ユカさん、モモ、シュウの5人でスーパーで買い出しに行き、宿のキッチンでサンドイッチを作って外のテラスでみんなで食べた。ハイネケンも飲んだ。かなりチルな時間を過ごせて楽しかった。
 
その後はみんなでまたビーチに行き、大波を被ったり、コーヒー味のシャーベットを飲んだりする。このシャーベットはテルアビブの街中の屋台で売ってるのだが、めちゃくちゃ美味しくて何度も飲んだ。
 
夕方に帰り、シャワーを浴びた後、パスタを作って食べた。ゲストハウスのテラス席でコーヒー、タバコとともに10人くらいで談笑。クラブに一緒に行ったノルウェー人はいなくなっていて、アメリカ人の2人組、ロシア人バックパッカー、などが新しく来ていた。
 
6時ごろにゲストハウスをチェックアウト。30ドルくらいのきれいなドミトリーで、8人部屋のベッドはいつも清潔に保たれており、トイレにウォシュレットもついていて感動的なほど快適だった。さすがはテルアビブという感じ。ちなみに、テルアビブの物価は東京より高くて、ビッグマックセットが15ドルくらいする。
 
俺、モモ、シュウの3人はテルアビブを発つためバスセンター駅へ。3人とも、イスラエルには8日間居たことになる。ノゾミさん、ユカさんとも一緒に歩いていき、2人とはバスセンターの手前で握手をして別れた。その後はバスセンターでモモ、シュウの2人とも握手をし、日本に帰ってから飲む約束をした。俺はバスセンターに隣接するハハガナ駅からベングリオン空港に向かうので、2人ともここでお別れ。2人とはルクソールのブーメランホテルで会ったのが最初なので、3週間近く、断続的にだけど行動を共にしていたことになる。
 
長いこと複数人で行動していたので、1人になって急に寂しくなってきた。鉄道駅のベンチでこれを書いてるけど、妙に不安な感じが沸き起こってくる。どの電車に乗ればいいか、ヘブライ語の表示が読めないので人に聞けばいいのだが、なんとなく声をかけづらい感じがする。なんか、旅のスキルが落ちた気がする。本当に寂しく感じたせいで能力が落ちている自分が珍しくて、笑えてくる。
 
なんとか正しい電車に乗れて、無事ベングリオン空港に到着し、落ち着いてきた。
イスラエルハブ空港であるベングリオン国際空港はとてもきれいな空港で、入場だけならセキュリティーチェックもなし。横になれるタイプのベンチがないのが残念だが、今日はここで夜を明かして、翌朝のアテネ行きの便を待つことにする。イスラエルはどこでも、公共施設での禁煙が徹底されている。空港や駅でもまた然り。
 

38日目 テルアビブ→アテネ(2012年9月9日)

朝4時くらい。テルアビブ、ベングリオン空港のロビーで書いている。
 
やはり横になれない硬いベンチではほとんど寝ることが出来なかった。冷房で体が冷えたので、ロビーの外に出てベンチでタバコを吸う。同じように空港内で夜を明かしていた人たちが起き出してきて、喫煙所にぞろぞろと集まってくる。イスラエルの最後の朝焼けの下で、エジプト人旅行者にライターを貸す。
 
7時ごろにチェックインに向かう。ついにイスラエルを出国する。検査場では、危惧していた通り、なぜか危険人物認定されて別室でズボンまで脱がされて全身の身体検査を受けることに。日本から持ってきたペーパータオルをとても怪しがっていた。あと英語の質問にすらすら答えられなかったことも向こうの不安材料となったようだ。安全は何ものにも優先する、の原則が確かに厳格に実践されている。旅行者を不快にさせ、イスラエルが嫌われようとも、彼らは徹底的にやるのだ。その前提を理解していないと、イスラエル行政の行動は狂人にしか見えない。
 
全身検査を終えると、OK, Good luck to your trip, といって笑顔で送り出してくれた。
免税エリアを一通り見て回り、自販機でコーヒーを買おうと思ったが、操作方法が分からず諦めた。自販機に投入した10シェケルは帰ってこなかった。
 
機内ではギリシャ人の団体客のおばちゃんたちが大騒ぎしていて、僕の席に勝手に座っていた。キャビンクルーが、申し訳ございません、といって別の席を案内してくれた。ギリシャ人のおばしゃんたちの傍若無人っぷりはまるで中国人の団体客のようだった。
 
2時間ほど東地中海を飛び、アテネ空港に到着。
地下鉄で、アテネ中心部のオモニア広場まで行き、この周辺で宿探しをする。財政破綻したギリシャ政府へのデモ活動がかなり行われていた。
 
宿探しは、3軒目でやっと納得のいく値段のゲストハウスと出会い、部屋も見せてもらったらとても綺麗で、言うことなくここにチェックイン。アテネ・イージー・アクセスというゲストハウス。8人部屋のドミトリーだが、俺しか宿泊客がいないようだ。
 
 

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