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欧米人がイルカを殺すなと主張するとき、そこには人権の適用範囲をなるべく広く取りたいという意図が背景として存在する。
彼らには、イルカは賢く、人間に近い感性を持ちうるという仮定がある。この仮定に基づいて殺傷与奪の基準を定めるとき、殺して良い人間はいないとするならば殺していいイルカもいないとしなければならなくなる。
例えば障害を持った人間を考えるとどうか。植物状態の人は健常な賢いイルカに比べてより「人間的」だと断言できるだろうか。アルツハイマーで自分の事さえ覚束ない人と比べてどうか。もしイルカを殺していいとすれば、人間の中で「より人間的でない」者も殺していいとなってしまう。これはナチズムそっくりの論理だ。
もしそうなら、人権の範囲をどんどん狭めていくのが良いとすれば、いつか自分も「人間的でない」とされて殺される可能性がある。人権という概念の基礎はまず何よりも「私が殺されない」ことの正当化・論理付けなのだから、「私が殺されない」ためには「犬もイルカも不用意に殺されない」ことを保証しておくのが得策となる。こういうふうにして、欧米の動物保護的な機運には人権がカバーする範囲を広げる意図がその背景として存在する。
人権概念を拡大することについて、人間より上位の存在について想定するとどうなるだろう。
人間をはるかに上回る科学力を持った宇宙人が地球に攻めて来た時、その宇宙人は人間が害虫を虐殺するようにして人類を虐殺するだろうか。
少なくとも人間がコミュニケーション可能な種族であると彼らに分かった場合、そんなことはしないんじゃないだろうか。
もし彼らの人権概念が狭いなら、同類の中でもより人間に近い劣った個体は殺して構わないという論理が成立するはずだろう。
そんな論理の下では、地球に来るよりずっと前に自滅してるはずなんじゃないか。
だから、地球に来るほどの能力があるならば、すでにこの種の成熟の段階を踏んでいる可能性が高いと思う。そうならば、SF映画で見るような悪魔的破壊者として宇宙人をイメージするのは間違っていることになる。