ベガスでロシア人を撃つな

幻視する力

今日煙草を吸ってるときに思ったこと。

ツイッターをやっていた時、ツイッタータイムラインを流し見するのはいつも煙草を吸っているときだった。だからツイッターをやめて以降、僕は煙草を吸いながらスマホの画面に俯くかわりに、空を見るようになった。ああ、空って青いんだな・・・と、昨日地球に来た人みたいなことを考える。

焦点の取り方が想像力をコントロールすることを皮膚感覚的に知った。空を見続けていても暇だ。せっせと面白い呟きを供給するタイムラインが醸す一筋の個性の連鎖の方がはるかに刺激的だ。だから、それと同等の刺激を空から得るには、否が応でも、想像力のリミットを解除する必要がある。

青い空をじっと見つめる。西から東へ、天頂から地平へ焦点を滑らせる。青い。明るい。何もない。何かを探すため、空の裏側を想像する。空の青は、太陽の光子が酸素に反射したものにすぎない。ぶ厚い青の大気の外には、自然が(あるいは神が)(あるいはビッグバン理論が)用意した漆黒の宇宙空間がある。青く焰めく大気圏の外に目の焦点を滑らせれば、宇宙の闇と、そこに気まぐれに煌めく星々がイメージされる。

想像力とは何かということが少し分かった気がする。