ベガスでロシア人を撃つな

【中東一人旅 2012】②ドバイ・オマーン編(2012年8月5日~8月12日)

 

3日目 ドバイ(2012年8月5日)

7時ごろメトロに乗ってオールドスクール近くの宿にチェックイン。
 
7時間爆睡し、シャワーを浴びて少し散歩。
信じられない暑さで風が吹くと全身で熱風のドライヤーを浴びているような感じで、思わず笑ってしまう。ラマダン中ということで外で飲み食いしている人を見かけないが、こんな環境で数百年も暮らしていれば、こんな耐久性を追求する宗教を選択した理由も分かるというもの。
 
運河を渡るアブラに乗って反対岸へと渡る。スークを見て回り、軽く散歩してみたが特に面白いものはなし。ラマダンがきついな。
夜はなんとなく岸でまどろむ。
 

4日目 ドバイ(2012年8月6日)

2泊分の宿泊費を払う。昨日の晩飯を食べていないので腹が減った。メトロのデイリーパスを--- ってモール・オブ・ジ・エミレーツへ。スキードバイを見る。資本主義の効力が感覚的にダイレクトに突き刺さる。資本主義の元手は一つ、化石燃料で、それらを独占しさえすれば短期間で魔法のように豊かになれるし、その魔法は砂漠にゲレンデさえもたらす。
その後に行ったドバイモールもなんの面白みもなく、タバコを吸っているところを注意されただけ。
 
一旦宿に帰る。どうにもねむたくなってくる。近くの食堂で晩ごはんを食べ、アブラに乗ってブール地区へ。岸辺でまどろんでいると、パキスタン人に声をかけられる。パキスタンなまりの英語がひどく聞き取りにくかったが、金の話などしない良いやつだった。化学工場で働いていて、マンガを読み、ブルース・リージャッキー・チェンが大好き(彼らが香港人だと教えるとがっかりしていた)。
 

5日目 ドバイ(2012年8月7日)

この日は疲れて休憩の日。夕方5時ごろから行動開始。
マスカット行きのバスチケットを取り、ラマダン明けに備えてまたブール・ドバイの岸沿いへ移動。アブラに乗るのもだいぶ慣れた。
 
ラマダンが開けると、アラビア語の歌と謎の咆号が砂漠に屹立するドバイの街中に鳴りひびく。その瞬間が楽しい。
 
一旦宿に帰って荷物を置き、近くのアフリカ料理のレストランで食事。店内のテレビでサッカー日本代表が五輪セミファイナルで負けるところを見届ける。そういえば、エジプトではほとんど誰もサッカー以外のオリンピックを見ていないようだ。
スークを見て回り、写真をとる。とても楽しい。オレンジジュースを買って、バニヤススクエアでだらだらしながら飲む。一人で座っているだけでいろいろな人に話しかけられて楽しい。
 

6日目 ドバイ→マスカット(2012年8月8日)

朝5時起きでオマーンのマスカットに向かうバスに乗り込む。オマーンについては、"サッカーで勝たせてくれる国"程度の認識しか持ち合わせていなかったが、日本人があまり行かなそうだし、マスカットという首都の語感にみずみずしいイメージを感じて、なんとなく行ってみようと考えた。
 
UAE側はドバイを出ると写真で見たような砂漠が続き感動する。
オマーン側に入国すると地肌の見えた山岳地帯が続く。国境ではVISA代が20オマーン・リアルほどかかるという話を聞いていたが、係員がジャパンパスポートを確認して無料で取得できた。
 
国境のイミグレで降りたアラブ人のおじさんを乗せずにバスが出発したが、彼はそこまでのチケットしか持っていなかったのか。あまり考えたくない。
バスに乗っている間お腹が痛くて仕方なかった。
 
マスカットは岩肌のもとに広がる町だった。日本で言えば地方の町村といったレベルで、その語感から受けるようなみずみずしい印象とは正反対の街だ。ルートタクシーで中心街のマトラへ行き、宿にチェックイン。
値段より低質だと思うが、物価の高い街なので仕方なし。
 
マトラ→オールドマスカットを散策し、道に迷ったのでタクシーを拾うと、そのおっちゃんがいろいろ案内してくれて嬉しかった。
フォートや王宮に行った。しかしやっぱり案内代を含んだ高めの請求をしてくる。言いなりにならず交渉し、値段を抑えるがそれでも普通にタクシーに乗ったより高い。
向こうが勝手に案内したわけだから払う義務は無いが、日本人と言うことで足元見られた。親切も高額請求を断りにくくするためのはずだし。まぁこういう非日常な体験をしに来てるわけだし、と思い込んで怒りを抑えようと思ったが実際はかなり腹が立った。アラブ人は何かにつけてちょろまかそうとしてくる。なんで友達でもない、客とビジネスマンという関係でしかない人にちょっと信頼を裏切られただけで俺はこんなに怒ってしまうのだろう。
 
晩飯は近所のパキスタンレストランでチキンカレーを食う。客は俺しかいなくて、店員は誰も働いていない。
 

7日目 マスカット(2012年8月9日)

朝起きてシャワーを浴びる。
 
信じられない。村上春樹の言う通りシャワーは青がお湯で赤が水だった。普通逆だろ。
ブチ切れながら冷水シャワーを浴びる、は中東あるあるなのかもしれない。
俺はイスラム圏に幻想を抱いていたのかもしれない。イスラム教徒は敬虔な宗教実践者というイメージを持っていた。
実際は嘘ばかりつく、金はちょろまかす、知らないのに知っているふりをする。アラーってなんだ?
なぜ神を持たない日本人の方がアラブ人より礼儀正しいんだ?  この辺のギャップの理由を旅行中に見つけたい。
アラブ人にとって何が正義なのか。何が本音で、それを隠しているベールはどれなのか。
 
バスセンター(といってもチケット窓口と数件の両替屋が並んでいるだけだ)のあるルイ地区に行き、ニズワ行きのバスチケットを買う。
この時のタクシーの運ちゃんは俺が多めに払ってもお釣りをくれた。聖人だ。おそらく他の乗客がいたからだろう。結局他人の目があるかどうかということなんだろう。それは日本人の振る舞いと変わらないし、宗教を信じることの便益は神の目を意識することで優れた振る舞いができることにあるのではないだろうか。
 
その後マトラ・スークを見学する。中東最大のスーク(市場)だ。確かにこれは雰囲気がある。
洞窟のような雰囲気のアーケードの道の両脇にいかにもアラビックな露天が無限に続いていて、アバヤを被った母娘が楽しそうに買い物している。幻想的だった。
 
晩飯はスーパーで買ったお菓子でしのぐ。中東を一人旅しているとレストランを探したり交渉したり、釣り銭をちょろまかされないか気を配ったり、ちょろまかされたら怒って取り返すためにエネルギーを使うので、こういう食事が増える。
 

8日目 マスカット⇄ニズワ(2012年8月10日)

7時起きでニズワに向かうため、ホテル周辺でタクシーを捕まえるが、間違って行き先を言ってしまったため機嫌悪くされてしまい交渉不成立→乗車拒否。なんだこれは。
ルートタクシーに乗ったためバスターミナルへの到着が遅れ、ニズワ行きのバスは出発してしまっていた。
 
ONTCのオフィスで待機。
 
バスにようやく乗れて、ニズワ到着。乾燥した大地に巨大な岩山のみがある場所に降ろされ、どこで何をしたらいいかわからん。とりあえずぶらついてみる。
町…というか廃村といった雰囲気。歩いていても人っ子一人会わないが、不思議と建物の窓の奥から無数の視線を感じる。
ラマダンの日中は表を歩かないだろうし、この国の窓はマジックミラーが多いので見られているんだろうか。
 
タクシーでニズワ・フォートまで来てみたものの、休日なので午前で閉館していた。
フォートのふもとの町は廃れていて良い雰囲気を感じるものの、人々に「うわ、外人や・・」て感じでジロジロ見られるので気分が良くない。
 
日陰の風通しの良い場所を見つけたのでそこで1時間ほどだらだらする。
 
何もないのでタクシーを捕まえ、バスステーション付近のショッピングセンターへ行く。
 
アラブ圏の釣り銭ごまかしは必ずやるみたいだ。故郷から8,000km離れた砂埃の町でまた運ちゃんと喧嘩する。
ショッピングセンターで帰りのバスの時間まで涼んでいるが、やはりこの国は外国人と言うだけで舐め回すように見られて気分が良くない。早くドバイに戻りたい。
夕飯を食べたレストランは昨日の所と違ってとても良心的だった(お釣りをごまかさない)。
 
その後、岸辺でタバコ吸っているときに老人に話しかけて少し話した。やはりこちらから話しかけたりアクションを起こせば皆良い人なのだ。受け身の姿勢だと舐められて足元を見られる。
 

9日目 マスカット→ドバイ(2012年8月11日)

朝早くマスカットを出て、ドバイ行きのバスへ乗る。
 
同じバスに日本人、しかも福岡出身で早大卒の人がいた。在学中はわせねこの幹事長だったとのことだった。その人は会社を1週間休んで湾岸諸国を待っているらしかった。
国境でドバイ入国前になぜか俺は酒降ろされて荷物チェックされたり。
 
ドバイに着いてからはYHにチェックインしベッドで長い昼寝をした。
 
相部屋のやつとは全く話していない。アメリカ人らしい。
 
デイラのバニヤス・スクエアに行ってKFCで夕飯を食べる。この間見かけた日本人ぽい女の人がいた気がする。
 
またスクエアのベンチでゆっくりしてでYHに戻る。相部屋のやつはずっと寝ていた。欧米人は1日中ホテルにいる奴が多い気がする。
 
明日はいよいよエジプト入り。
こっちに来て1週間が経ったがどうだっただろうか。安い授業料でいくつかのことが学べたと思う。
中東イスラムの人々は二重の性質を持っていると思う。どちらの性質も他者の視線に対する適応行動であり、一定の歴史と文脈を考慮すれば、一見、利己的に見えても合理的な行動規範にも思えてくる。
 

10日目 ドバイ→シャルジャ→アレキサンドリア(2012年8月12日)

ドバイのYHをチェックアウト。ルームキーを失くしてしまったので10ディルハムを支払う。
エジプトへの移動日。アレクサンドリア行きの飛行機に乗るため、ドバイの北にあるシャルジャ首長国に向かう。
 
シャルジャ行きの「デイラ・タクシーステーション」の場所が分からず、汗だくで探し回る。何人かの人に聞いてみたが、大体の場所を指してくれたおかげでたどり着けた。
エア・アラビアに搭乗し、4時間ほどのフライトでエジプト北部、地中海に面するアレキサンドリアへ。
 
空港で捕まえたタクシー運ちゃんとの交渉で喧嘩するが、これまで学んだことを活かして1歩も引かず。希望通りの条件で乗り込めた。
途中ナイルの水面に映る街が美しかった。こんな光景が見られるのはエジプトだけだろう。
 
エレクサンドリア中心部のマスル駅で降ろしてもらい、ホテルを探してチェックイン。
なんとこのノルマンディー・ホテルは電気が止まっている。夕暮れになるにしたがって、どんどんお化けが出そうな雰囲気になってくる。不安になるので明日には出よう。
そういえばエジプトの交通ルールもまたすごい。3台通れる幅の道に、車線など無視して7台くらい並行で走り、ひたすらクラクションを鳴らし合いながら無理やりに進んでいく。道端にいた人に「交通事故など起きないのか?」と聞いたら、「普通にめっちゃ多い」とのこと。。。
 
レストランが意外と少なく、マックで夕飯を食べる。露店とシーシャ屋しかない。
 

関連記事